巫女が恋した月下の紅蓮/第9話

修道服の少女


 次の日の夜。時刻は午前零時に指しかかろうとしている。
 五月末の夜にしては、空気は生ぬるく、心地いいものではない。巨獣の胃袋に放り込まれたかのような不快感。巨獣の名前は夜。夜の闇は陽の下を生きる者にとって得体の知れない畏怖の対象だ。
 そして、現在僕がいる場所にも不気味さを抱く原因があった。
 僕は今、神社の境内にいた。この神社は小高い丘の上に築かれており、人里からは俄かに隔絶されている。本来神社は神聖な場所。また、この神社は丁寧に清掃や整備がなされており、荒れ果てた廃墟であるということはない。だから妖怪とは無縁な空間であるはずなのに、それでも寂寞とした不安が胃の腑からせり上がってくる。きっと神聖さと不気味さはコインの裏表なのだ。
 この神社を集合場所に指定したのは雅量だった。
 集合時刻は午前零時ちょうどなので、指定の時刻までには後五分程ある。
 何をするでもなく、僕は月を眺めながら雅量を待つ。
 そして指定時間の午前零時ぴったりに雅量苗木は神社の境内に現れた。僕が一昨日に雅量を助けたときと同じく巫女装束を纏っていた。月の明りに照らされた巫女装束の雅量の姿は、凛と咲く一輪の百合のようでもあった。
 けれど、そんな可憐な少女の口から溜息が零れ出す。
「今日という日の始まりに、最初に見る顔が種橋君の顔。これは縁起が悪いわね。きっと今日は厄日に違いないわ」
 華のような少女は、決して華のようにほころばない。『お待たせ』なんて優しい言葉を掛ける気遣いすらない。まるで毒蛾の鱗粉みたいな黒い言葉を大気中に放出する。
「そりゃこっちの台詞だ。こんな真夜中に雅量みたいな見た目だけの人間と会わなきゃいけないなんて自分が惨めになってくる」
 売り言葉に買い言葉。僕もため息交じりに嫌みを返す。
「見た目だけでも長所があるならいいじゃない。種橋君の場合は見た目は平凡、中身はヘタレで内外ともにパッとしないじゃない」
「喧嘩売ってるのか?」
 僕のこめかみがひくつく。こっちはムリヤリ雅量に付き合わされているだけなので正直、退魔の仕事は乗り気ではない。それにもかかわらず、雅量は僕を邪険に扱ってくる。これは腹が立ってもやもなしだ。
「これしきのことでご立腹とは、アナタの器はお猪口並みに小さいのでしょうね。それとも今ここで私と勝負したいのかしら?」
 雅量は明らかに挑発してくるが、僕は受けて立つとは言い出せない。雅量の格闘センスは先日、緒川たちとの戦いで目の当たりにしている。
 人間として雅量に挑めば必ずや僕の負けになるだろう。だからといって鬼の力を開放するわけにもいかない。雅量に【紅蓮の君】の正体がバレるとか以前の問題として彼女を灰にしかねない。
「案の定、根性なしなのね。星河さんには悪いけど、やっぱりアナタと退魔の仕事をする気にはなれないわ。帰って寝ていた方が身のためよ」
「ああそうかい! お前と夜の街を散策するなんて、こっちから願い下げだね。どこへなりとも行くがいい!」
 言いたい放題の雅量に、僕の堪忍袋の緒もブチ切れる。
 僕は声を荒げていったのに、しかし雅量は涼しい顔。
「ではお言葉に甘えて、私は一人で鬼と、そしてあの方――【紅蓮の君】を探すとしましょう。それでは種橋君、良い夢を」
 ぶん殴りたくなるほどにニコやかに手を振ると、雅量は神社の石段を飛び跳ねるように下っていった。
 結局コンビは五分と持たずに解消された。
 雅量と離れ離れになってから、僕は激しい後悔に襲われた。
 雅量と別行動になるのはかまわない。誰があんな奴と行動を共にしたいと思うものかよ。
 問題なのは、これからどうするかだ。このまま早々に家に帰っても姉さんの憤怒と折檻が舞っているに決まっている。
 さりとて、こんな深夜にやることもない。
 とりあえず、深夜の境内は不気味で居心地が悪いので僕は石段を下る。
 石段を下ったところにある公園のブランコに座って、何をするでもなく呆けていた。これではまるで、リストラされたことを家族に言えず日中時間を潰すサラリーマンみたいだ。
 せりあがる自己嫌悪に押しつぶされそうになる。けれど、メンタルトレーニングの一種だと割り切って我慢するしかない。
 せっかくのブランコなので座った状態で漕いでみた。鎖の軋む音が夜の沈黙に響き渡る。
 真夜中の公園で気迫のない少年がブランコを漕いでいる。客観的に見れば、さぞ不気味な光景だが知ったことではない。
 ブランコを漕ぎながら、様々な悩みが僕の頭をよぎる。中でも一番大きな悩みは自分の惨めさである。
 学校では緒川とその取り巻きにボコボコにされて、家に帰れば姉に頭が上がらない。挙句、真夜中に雅量に邪険に扱われる。
 僕の人生はいつになったら好転するのだろうか。吉兆すら掴めない。
 嗚呼、無情。――まさにレ・ミゼラブル。
 僕がジャン・ヴァルジャンのように強くて賢くて勇気にあふれる人間になれる日は来るのだろうか。
 たかだか物語の中の登場人物に憧れているという点では、テレビの中の変身ヒーローに憧れる幼子に類似している。そう考えると、余計に気分は沈む。
 けれど、僕がジャン・ヴァルジャンに惹かれるのは、彼の強さなど諸々の長所だけではない。
 ジャン・ヴァルジャンは僕と同じく周囲に秘密を隠しながら生きている人間だ。ジャン・ヴァルジャンは徒刑囚であったという過去を隠し、僕は鬼であるという本性を隠す。
 秘密を持つということは、それだけで大きな労力を要する。
 けれど同時に考えてしまうのだ。僕は秘密を持っているから僕という人格を保てているのではないだろうかと。
 人間としては薄っぺらい種橋京真という人間は『鬼である』という誰にも話せない秘密を持つ。そのことが逆に僕のアイデンティティになっている。
 人間としては最弱。ならば、せめて最強の鬼であるという自負心がなければ、僕は自分の薄さに耐えきれない。
 なんて卑怯な存在だ。あるいは姉さんは僕のそういう側面を見抜いた上で、雅量と夜の街を征く道を歩ませたのだろうか。
 僕は空を仰ぐ。先日は満月だった夜の大輪は、今日は少し欠けていた。これから十数日かけて、真円だった月は闇に浸食されて朔なる。そして、夜空はガランドウの闇に支配されるのだ。
 物思いに耽っていると、僕は背後に昏い声を聞く。
「……腹ヘッタ。人間、食ベル……」
 心臓が握りつぶされそうなほどに驚き、あわててブランコの振り子運動を停止させる。そして振り向くと、そこには異貌のモノが構えていた。
 ありていに化け物という形容がぴったりの成り形だった。胴体から四肢と頭が生えているので人型の妖怪と言いたいところだが、全長は三メートルほどあり人間とはおおよそ形容しがたい。あばら骨が浮き出るほどに痩せこけているのに腹回りだけはでっぷりと膨らんでいる。
 それは餓鬼を連想させるが、餓鬼と呼ぶよりは百目と呼称すべき妖怪だった。その妖怪には体中に目があった。胴にも頭にも四肢にもびっしりと赤く爛々とした瞳が存在し、その瞳のほとんどが、おそらく獲物と認識した僕を捉えている。
「人間、食イタイ。食ベル。食ベル。食ベル!」
 百目は吠えるが、残念僕は人間ではない。封印の数珠をつけているとはいえ、僕が鬼であると看破できない以上、この百目は妖怪としては下級の存在であると解釈するべきだ。中級あるいは上級の妖怪ならば、いくら封印が施されているからといって僕が人間であると勘違いをしないだろう。
「食ベル!」
 百目の腕が横なぎに僕を襲う。僕は地を蹴ってブランコから退避。
 百目に横なぎにされたブランコは、支えの鉄パイプの部分が見事にヘシ折れていた。市民の血税を鉄屑に変えてしまうとは全く礼儀がなっていない。
 とか呑気に構えて入られる場合ではない。
 僕は封印の数珠を取らない限りは普通の人間と変わりないのだ。
 この場で僕が取れる行動は二つに一つだ。
 すなわち、封印を解いて百目と戦うか。それとも封印を解かずにこの場から逃亡するか。
「そんなの決まっているよな」
 考えるまでもなかった。
 僕は再び百目に背を向けて、そして全力疾走を開始した。
 僕が選択した行動は逃走だ。誰がいちいち、こんな下級妖怪のために封印を解くなんてリスクを冒すかよ。
 逃げられる勝負からは逃げる。これは戦略的撤退である!
「待テ、待テ、待テ!」
 疾走する僕の背後から百目の声と足音とが聞こえてくる。音から察するに逃走する僕と百目の距離は離れもしないが詰められもしていないらしい。
 向こうの図体がデカい分、動きが鈍重で助かった。
 とはいえ、いつまでも逃げ回っているわけにはいかない。どうにか対策をとらないと、僕の体力が尽きてしまう。
 僕はなるべく他の人に迷惑を掛けないように、人気の無い郊外へと走っていく。だがそれは間違いだった。僕が最終的にたどり着いたのは廃工場だった。
 廃工場には入口が一つしかなく、その入り口は百目が占拠してしまった。
 まずい。これでは完全に詰みである。
「食ベル、食ベル、食ベル」
 食欲旺盛な百目は無数の瞳を蠢くように回転させる。完全に僕を捕らえた気でいるようだ。
 けど僕は、このまま妖怪の胃袋に収まる気は毛頭ない。
 僕はため息をついて腕にはめられた数珠を触る。
 結局僕は、鬼にならなければ何一つ問題を解決できないのだろうか。そう考えると少し切なくなってくる。
 何度も言うように僕にとって鬼になるのは禁忌。けれど今は命に係わる緊急事態だ。
 気が進まないが、変身しかありえない……だろうか?
 僕は変身を回避するために、最後まで粘る。それぐらい僕は鬼への変化に拒否感を抱いている。一昨日、雅量を助けたのは本当に奇跡でしかない。
「食ーベールー!」
 鋭い爪を生やした百目の腕が、厳かに振り上げられる。
 ――南無三!
 僕は心の中で念じながら、今まさに封印を解こうとしていた。
 ところがその時――。
「おやめなさい、化け物。これ以上の人間への狼藉はこの私が許さないわ」
 薄暗い廃工場には不似合いな快活な女性の声が、空間を揺らす。
 見ると、百目の向こう側に人影がった。
 そこにいたのは修道女姿の謎の人物。その人影は月光を受けて銀に光る得物を所持していた。
 それは二振りの片手剣。西洋の騎士が携えていそうな、列記とした武器だった。
「オ前ノ方ガ、美味シソウ。食ベル、食ベル、食ベル!」
 進路を僕から修道女へと変更すると、食欲のままに百目は突っ込んでいく。
「駄目よ、女の子をエスコートするなら、もっと優しくしなきゃ。押しが強いだけでは女の子を食べることなんてできなくってよ」
 修道女は言うや否や、両手の刃を再度構え、まず百目の腕を両断した。切断面から百目の青い血液が迸るが、修道女は気にした風でもない。
「次!」
 裂ぱくの気合で修道女は、更に百目の両足を切断。そして、トドメとして頭と胴体を切り離す。
 百目は完全に沈黙。妖怪としての仮初の生命は尽きたらしく、百目の体を構成していた部位は爛れ腐り、やがて風化していく。
 修道女の見事な手際に、僕は茫然とすることしかできなかった。
 だが、そんな僕に修道女は言ってくるのだ。
「間一髪だったわね、京真」
 僕の名前を当てて見せる修道女。そして、改めて僕は修道女の顔を観察。フードによって髪型が隠されているから一見すると誰だかわからなかった。しかし、その顔立ちには見覚えがある。
 彼女は僕のクラスメイトであるところの舞阪ジョセだった。

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