巫女が恋した月下の紅蓮/第26話

~もう一度、私を守っていただけませんか?~


 漆黒に塗りつぶされた夜の下、僕は七条にとっての獲物だった。
 一撃一撃が僕の心身を抉っていく。
 疾風迅雷よりもなお速い七条の攻撃は、鬼の僕であっても見切れない。黒龍炎の力は、七条に膨大な力を付与していた。
 身体中が軋むように痛い。立っているのがやっとの状態だ。
 けれど、この背を地に着けるわけにはいかない。僕の背後では気を失った雅量が倒れている。
「弱い。弱い。弱すぎる! 君の力はそんなものかよ! ボクはまだ本気の半分も力を発揮していないよ? そんなんじゃこれから人間を皆殺しにいくボクを止められないよ?」
 超高速で移動しながらも七条は嘲弄。七条の言葉は事実だろう。黒龍炎の力を手にしておきながら、直接攻撃だけとは不自然だ。おそらく彼は僕を弄ることを楽しんでいるのだ。彼にとって、僕を殺すことはいつだって可能に違いない。
 七条の不可視に近い攻撃を浴びながら、それでも僕は言葉を紡ぐ。
「どうしてだよ……どうしてお前はそこまでして人間を憎む!?」
「実につまらん質問だ。ボクらは妖怪なんだよ。ならば人間は敵であることが自然。むしろ人間であろうとする君の思考の方こそ理解しがたいな」
 一端攻撃の手を止めて、七条は僕から十歩ほど距離を置いたところで停止。
 邪悪な視線で僕を縫いとめながら、彼は言葉を続ける。
「ボクは鬼として生を受けた。両親は共に鬼の一族で、とある片田舎でひっそりと穏やかに暮らしていたよ。だけど、人間たちがそれをグチャグチャにした! 退魔士によってボクの両親はゴミのように殺された。両親を殺した人間たちは嗤っていたよ。妖怪は闇に還るべき存在だとかほざきながら、両親の四肢を引きちぎっていった。けれど、ボクだけはどうにか人間たちから逃げのびた。この屈辱がわかるか? この憎しみがわかるか? 大切なものを失った世界でボクだけがのうのうと生きているんだ」
 七条の背後にはドス黒い炎が立ち上がる。比喩でも何でもなく、本当に漆黒の後光が彼の背に渦巻いていた。きっと黒龍炎の力が七条という容器に収まりきらず零れ出しているのだ。
「だったら、どうしてお前は両親の分まで平穏に生きようとしなかった。お前の両親は人間を皆殺しにするなんて馬鹿げた大志を本気で喜ぶと思っているのか!?」
 僕の言い分は、説得の言葉としては、きっと陳腐で手垢が付いたもの。けれど、僕は七条に対してそんな言葉しか出てこない。
「それは違うよ、種橋京真。死者はボクの行為を喜ばない。死者はボクの行為を悲しまない。ただ虚無だけがそこにある。ただボクは、ボクのためだけに大切な人を弔いたいだけなんだ。そのためならば、世界中を憎悪の炎で焼き尽くしてみせる!」
 異常なまでに歪んだ不退転。しかし、それ故に彼の意志は純粋で、だからこそ悲壮だった。
 七条は僕の影なのだ。
 もし僕が、種橋蓮星に拾われなかったら、種橋星河という姉を過ごさなかったら、きっと僕は、七条と同じく本物の鬼になっていた。
 同時に思う。少しだけ、ほんの少しだけ彼が羨ましいと。
 僕はいつでも自分が人間なのか鬼なのかわからず、結局どっちつかずで、何にもなれなかった。
 人間にもなれず、鬼にもなれずの中途半端な存在の僕と、決然たる意志の元に鬼として歩む道を選んだ七条。
 どちらがより完成された存在なのかは比較するまでもない。
「さて、お喋りは終わりにしよう。君のような不完全な存在は、見ているだけで腹立たしい。ボクが慈悲の心を以って、しっかりと焼却してあげないとねえ」
 七条が手をかざす。彼の掌には黒の炎が渦巻いていた。
 横に回避することは許されない。背後に雅量がいるからだ。ここで僕が七条の炎を止めなければ、雅量を焼き殺すことになる。
「死ねよ、半端者」
 言葉と共に殺意の引き金は引かれる。猛然と空気を燃やす黒の炎。
「させるか!」
 僕は全力で炎を生成し、七条の炎へぶつけるように放出する。
 暗黒の顎と紅蓮の牙が激突。二重の業火により大気が歪み、真夜中に蜃気楼が生まれる。
 けれど炎の出力に差がありすぎる。僕の炎は弄り殺されるように七条の炎に押される。七条の炎の圧力が、僕の放った炎を媒介にして伝わってくる。
「畜生がぁぁぁッ!」
 僕は絶叫をあげながら、自分の限界の、さらに先の出力の炎を生み出すが、それでも桁が違いすぎる。
 紅蓮は完全に暗黒に飲みこまれる。
 僕の感覚から時間も光も音も、全てが消しとんだ。
 僕は終わるのか?
 すまない雅量。僕は君を守れそうにない。
 絶望が心を支配する。しかし、絶望は一瞬。
 次の瞬間には、僕は目を疑う光景を目の当たりにした。
 暗黒色の暴君は、壮麗たる波濤にその侵略を阻まれていた。
 振り返る。そこにあったのは毅然と立ち上がり、前方に右腕を伸ばして術を行使する雅量の姿。凛と咲く百合の如き美しさ。
「水よ穿て!」
 雅量が命じると、防御のために展開された水の城壁の形状が変化。黒い炎を引き裂く戦槍と化す。
 水の槍は黒の炎を紙のように引き裂き、七条をまさにとらえんとする。
 形勢不利と判断した七条は、炎の放出を中断。横に跳躍。
 遮るものが無くなった水の槍は、一直線に突き進み、工場の壁を撃ち抜き風穴を拵える。
 水が火を殺すのは自然の道理。いくら七条が強力な力を手に入れたからといっても、力の性質からすれば雅量が圧倒的に有利。
 それでも僕は雅量の真の力に竦み上がる。
「雅量……お前の強さって実は出鱈目だったんだな」
 僕は雅量に投げかける。
「通常の私は黒龍炎を封印するために莫大な力を費やしていた。だから、使える術は限られる。けれど、黒龍炎という足枷が奪われた今なら本来の力を発揮できる。敵に遅れを取ったから真の力が使えるというのが皮肉で腹立たしいけれど」
 雅量は心底忌々しそうに吐き捨てる。黒龍炎の封印が解かれたのが、相当屈辱だったらしい。
「けど、なんにせよ助かったよ。危うく七条に焼き殺されるところだった」
「勘違いしないでね。別にアナタを助けたわけじゃないんだから。私はただ、妖怪を退治するために力を使っただけよ」
 ツンデレのテンプレートといっても良い台詞の雅量。ただし、場の空気を読んで敢えて指摘はしない。シリアスモードを貫こう。
「さあ、妖怪。黒龍炎を返してもらいましょうか。それは薄汚いアナタにお似合いだけど、アナタの玩具にするには荷が重すぎるわ」
 雅量の右手には水の刃、左手では水弾を生成する。その目には激流が宿っていた。
「そういうことだ七条。これで二対一。どう見ても形勢はお前に不利だが?」
 噛ませ犬臭い台詞だが、事実なので僕は憶することなく七条に告げる。
 ところが、これに雅量は、
「鬼の分際で調子に乗らないでちょうだい。私は妖怪と手を組むつもりはないわ。言うならばこれは一対一対一の殺し合いよ。七条を倒したら、次はアナタの番よ、種橋京真。妖怪と名のつく者ならば、私は一匹も逃しはしないわ」
 右手の刃を僕にかざす雅量。
「そんな馬鹿な。どうしてそうなる。僕は人間に危害を加えるつもりはない。むしろ、僕はお前の味方をしたい。だから……」
 雅量の殺気に気押されながらも、僕はどうにか説得を試みる。
 けれど雅量の殺意は膨らむばかり。
「ならばどうして自分が【紅蓮の君】だと言わなかった! 私がどれだけあの方を想い、慕っていたのかアナタにはわからなかったと言うつもりなの!?」
 雅量の怒声は工場の壁に激突し乱反射する。
 僕は言い返せない。申し開きの言葉を見つけ出せない。
 そんな僕に雅量の追及は続く。
「もしもアナタに疚しいところがないならば、アナタはすぐに自分が【紅蓮の君】だと名乗りでるべきだった。いいえ、それどころか私はちゃんとアナタが【紅蓮の君】なのかを質問している。だけどアナタは嘘をついた。そんな奴をどうして信じなきゃいけないの? どうして、どうしてアナタみたいな人が【紅蓮の君】なのよ!」
 雅量の悲痛な絶叫が夜と僕の心を切り裂く。
 雅量の言い分には反論のしようがない。全ては僕に非がある。
 鬼であることを明かせば、雅量との関係が悪化し、最悪退治されることを恐れて僕は真実を隠し続けた。
 雅量の想いは一方的だったかもしれない。だけど、純粋だった。その想いを踏みにじったツケはしっかりと支払わなくてはならない。
「僕は見ての通り妖怪だ。いくら雅量が【紅蓮の君】を想おうと、その結末は悲劇でしかないと予想できた。だから、僕は保身に走った。もし僕が退魔士である君に鬼だとしられたらと思うと恐ろしくて仕方が無かった」
 言いながら、自分の手が震えているのに気付く。自分の弱さを認めるのが、こんなにも辛く重たいとは。
「すまない雅量。お前の言う【紅蓮の君】は、決して勇敢な奴じゃない。決して優しくもない。ただの卑怯で醜悪な妖怪なんだ」
 僕は言いながら自分の本質を悟り、心底失望する。
 本当は雅量の想い人になれて舞い上がっていた。勘違いでも、人間としても妖怪としても半端者を好きだと言ってくれる人がいる。それはまるで夢のような時間だった。
 だけど、夢は夢だ。それはいつか朽ちる儚い幻。
 もう十分だ。僕は十分に楽しんだ。
 雅量が僕を斬ろうというなら受け入れよう。僕はそれだけのことをした。
 覚悟を決めれば意外に清々しい気分だ。ここは戦場だというのに、屋根に穿たれた穴から見上げる空がどこまでも透き通ってみえた。
 だけど、そんな気分は七条のせせら笑う声に吹き飛ばされる。
「まさしく! 妖怪は人を騙し、その心を踏みにじることこそが本分だ。そうでなければならない。人間と妖怪は互いを憎み合うのがあるべき形。ならばこそ、さあ、殺し合いを再開しよう!」
 七条は大仰に腕を広げ、まるで真理を説くがごとく憎悪を紡ぐ。
「そうね。妖怪は人間にとって害毒に等しい。だから……」
 雅量は一端言葉を止める。自分の言葉の続きを吟味しているようだった。
 そして雅量は、たった一つ溜息をついてから、続きの言葉を口にした。
「だから私は、こんなヘタレた存在は妖怪とは認めがたいわ」
「は?」
 柔らかい表情の雅量に、僕は首を傾げた。
「大体、よく考えたら種橋君みたいな人畜無害な無能者が、人に害をなせるほどに優れているわけがない。役立たずのゴミ虫、それこそが種橋君の本質よ」
 毒舌全開の雅量。有害さでいったら、そこらの妖怪なんてきっと目じゃない。
「それは……僕を許すってこと?」
 念のため訊いてみた。
「そうねえ、ここでアナタを叩き斬るより、例えば使い魔とか式神のような存在としてこき使った方が有効かもしれないわね」
「逆に酷いな、それ」
「それともアナタは、自分が愛憎のもつれから、異性に殺してもらえるほど自分が格好良い存在だと勘違いしているのかしら?」
「いや、それはないけど……」
「ならば、種橋京真というヘタレ男子に命令するわ。そこにいる邪悪な妖怪を倒すのを手伝いなさい。そして――」
 雅量は俯く。
 まるで恋する相手を前にした無垢な乙女のように。
「【紅蓮の君】であるアナタにお願いします。もう一度、私を守っていただけませんか?」
 まったくもって厄介だ。そんな言い方をされて断れる男が、この世のどこにいるだろうか。

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