巫女が恋した月下の紅蓮/最終話

夜明けへ行く者たち


 雅量は、戦闘不能になった七条へと歩み寄り、手をかざす。
「それでは黒龍炎を返してもらいましょう。それは私が封印すべき邪悪よ。アナタのような木端妖怪が背負い切れるものではないわ」
 雅量の手が七条の額に触れようとする。
 すでに七条は気を失っており、抵抗はしない。
 そんな七条に対し、雅量はあと少しのところで、触れるのを躊躇っていた。
「種橋君、一つお願いがあるの」
 七条から目を離さず、雅量は言ってくる。
 何事かと僕は緩めた緊張の糸を張り直す。
「黒龍炎を封印し直している間だけでいいの、私の手を握っていてくれるかしら」
 雅量の申し出の意味が僕には解せない。
「それは何か、儀式的な理由か?」
「いいえ、その……ね?」
 か細い、困ったような雅量の声に僕は不安になる。
「じゃあ、僕の鬼としての力が必要なのか?」
「それも違うわ。ただ単に、怖いのよ」
 雅量は背を丸める。
 そして続ける。
「黒龍炎の封印は、激しく精神を消耗するわ。下手をすれば黒龍炎の憎悪に飲みこまれかねない。以前の封印は、黒龍炎の災厄から色々な人を守ろうという必死さから上手くいった。だけど、今はその荒ぶる感情を持てない。だから――」
 雅量は言い淀んでいるが、僕は彼女にその先の言葉を言わせなければならないほど野暮ではない。
「わかった。僕が君を支える。お前が憎悪の濁流に飲み込まれそうになったら、僕のことを思い出せ。お前が恋した【紅蓮の君】を」
 僕は雅量の手を握る。彼女の手が微かに震えているのがわかった。
 雅量も僕の手を握り返す。馬鹿みたいに力強く握ってくるのでちょっと痛いぐらいだ。
 黒龍炎の憎悪がどれほどのものなのかは僕には想像がつかない。今はただ、これから彼女が飲みこまれる憎悪よりも、彼女が僕を想う気持ちが勝っているのを祈るばかり。
「ねえ、もう一つお願いしてもいい?」
「なんだよ、殊勝な態度なんてお前に似合わないぞ。この際だ、もう何だって聞いてやるよ」
 今はただ、雅量を支えたい。彼女をあらゆるものから護りたい。
「もしも、黒龍炎に飲みこまれて私が駄目になってしまったら、私のことをもう一度アナタに教えてほしい」
 雅量は、更に手に力を込める。
「この土壇場で負けることなんて考えるなよ。でも……いいよ。約束する。お前が黒龍炎に負けても、僕はお前を取り戻す。覚悟しとけ、お前がどれだけ僕に酷いことをしてきたかを身悶えするほどに教え込んでやる」
 僕が【紅蓮の君】だとわかるまで、彼女の態度はまさにツンデレのデレ抜きだった。土下座した僕の頭を踏んできたりもしたしな。
「身悶えするほどにって、それはちょっと変態じみた言い方ね。そっちの方が怖いから、私、絶対に戻ってくるね」
 雅量の宣言は、それでも少しか細いものだった。
 でも僕は、力強く返すしかない。
「ああ、待ってる。いつまでも待ってる」
 僕の言葉を聞き届けるのと同時に、雅量は七条の額に手を触れた。
 七条から黒の奔流が雅量に流れ込み始める。
 無数の蟲が這うように雅量の腕から身体へと黒龍炎が彼女を侵略し始める。
「ううう……あああッ……!」
 雅量が苦鳴を上げる。ただ彼女を見守ることしかできない自分がもどかしい。
 数分程たって、七条から雅量への黒龍炎の転移は終了する。それまで気丈に断ち続けていた雅量だったが、ついに僕の方に倒れ込む。
 雅量を支えながら、僕は彼女の寝顔を覗きこむ。
 雅量は泥のように眠っていた。悪夢でも見ているかのようにうなされていた。
 頑張れ雅量、僕はここにいる。
 僕は雅量を抱えたまま、その場に座り込む。
 今はただ、雅量の帰還を信じよう。
 僕は黒龍炎によって穿たれた天井の穴から夜空を見上げる。人間の姿だったときは街の明かりに塗りつぶされて星なんてほとんど見えなかった。けれど鬼の状態の僕の視力では闇の中にしっかりと星の煌めきが見てとれた。
 感傷的な気分に浸っていると、
「やあ……おはよう」
 意識を取り戻した七条が、よろめきながら立ち上がる。残念ながらしぶとく生き延びたようだ。
 雅量に黒龍炎を奪取されたのが彼の命を長らえさせたのかもしれない。
 僕はただ無言で七条を睨みつける。
「ハハハ、随分剣呑な視線だ。そして、その割に隙だらけのようだ。ああ、酷い目に遭った。本当に酷い目に遭った。これはそこの女をブッ殺さなきゃボクの気がすまないな!」
 七条は吠えるが、僕は微動だにしない。
 僕と雅量に向かって七条は突撃してくるが、その動きは黒龍炎を身に宿していたときと比べて遅すぎる。
 僕は自分の周囲に火球を生成し、愚かなる存在に鉄槌を下す。
 炎は簡単に七条を迎撃していく。本気で殺すつもりだったが、さすがに七条も鬼だった。全身を炎に包まれ床に転げ回るが、しぶとく生きていた。
 そもそも、七条の力は人の無意識を操るという戦闘に不向きなもの。真正面から僕に突撃するのは気が触れているとしか言いようがない。
 僕は再度炎を生成。僕と雅量を中心に炎を公転させながら、七条に最後通告を言い渡す。
「灰になりたくないなら、この場から消えろ」
 七条の顔にみるみる内に苦渋が広がっていく。しかし、それだけ。
 彼は天井に開いた穴からいずこかへ去っていった。
 七条を取り逃してもよかったのだろうかという疑問は尽きないが、雅量を放っておくわけにもいかない。
 そして、天井から覗く空が白んじてきた。雅量は一行に目を覚まさない。
 いつまでもここに居座るわけにもいかないと判断した僕は、雅量を抱えて立ち上がる。
 とりあえず、家に帰ろう。

   ◆

 僕のベッドの上で雅量苗木は眠り続ける。
 僕は眠り続ける雅量の手をずっと離さないでいた。
 外のごたごたの方は、姉さんとジョセに言って事後処理を任せている。
 事情を説明したら、二つ返事で面倒事を負ってくれた。特にジョセなんかは何としても七条を捕まえてやると息巻いていた。
 それと、今僕は人間の姿に戻っていた。
 姉さんが封印の数珠を僕の腕に巻き直してくれたのだ。
 僕としても流石にずっと鬼の姿はマズいと思い、素直に姉さんに従った。
 僕は一睡もしていなかったが、雅量が起きるまで睡魔ごときにこの身をゆだねる気になれなかった。
 そして、時が来たのは、太陽が地平へと沈もうとしていた頃。窓からは西日が射しこんでいた。
「……種橋君?」
 ゆっくりと自身の瞼を押し開けて、雅量がついに目を覚ます。
「雅量!」
 僕は歓喜の声を上げる。
「ここは……どこ?」
 雅量は上体を起こし、周囲を慌ただしく見渡す。
「ここは僕の部屋。ずっと目覚めないから、とりあえずここに連れて来たんだ」
 事情を説明すると雅量は、きょとんとした顔で何度も目を瞬かせる。
 しばらくの沈黙の末、雅量は訊いてくる。
「……それは、どういう意味?」
 まるで、記憶がすっかり欠落してしまったかのような物言い。
 そこで僕は気付く。雅量は本当に記憶を失ってしまったのではないかと。
 黒龍炎との戦いで精神が消耗した結果、昨夜の出来事が無かったことにされたのではないだろうか。
「どうして種橋君は私の手を握っているの?」
 雅量の更なる問いに、僕の胸は締めつけられる。僕は、おずおずと雅量から手を離す。
「なあ雅量、お前、昨晩のことを何も覚えてないのか?」
 実は僕をからかっているだけではないのか、と疑ってもみる。けれど、いくら雅量でもこの状況でそんな悪趣味なことはしないだろう。
「それは……。ねえ種橋君。笑わないね聞いてね。私は寝ている間に変な夢を見たの。同じ学校の同級生がいきなり鬼になって私を攫ってしまうの。そんな間抜けな私を、ずっと私が想い続けていた人が助けに来てくれる。けれど、実はその人の正体も鬼でしたっていう、そういう荒唐無稽な夢」
 ――夢。
 その一言は僕に重くのしかかる。
 僕はどう答えるべきかを決めかねていた。
 けれど、雅量は言う。
「私はその人を【紅蓮の君】と呼んでいた。あの方は、本当にいたのか、それとも私の夢の中だけの存在なのか。それすら、私にはわからない」
 とある考えが僕の頭をもたげる。
 今なら、もう一度【紅蓮の君】の正体をうやむやにできる。
 退魔士の雅量と鬼の僕。冷静に考えれば二人の道は絶対に交差してはならない。
 自分の想い人が鬼だったという話が夢ではないという真実を突きつけられて、雅量は冷静でいられるだろうか。
 憎悪が復燃し黒龍炎に精神が蝕まれることはないだろうか。
 膨大な懸念の嵐が脳内に渦巻く。
 だけど、僕の答えは決まっている。
「そいつは、今ここにいる」
 僕は今一度、封印の数珠を解く。
 それは雅量にとって、想い人との再会か。それとも怨敵との邂逅か。
 ただ、僕はもう【紅蓮の君】の正体を雅量に隠していたくない。
 ここで雅量と敵対するなら、それはしかたのないこと。
 そんなことよりも大切な真実がここにある。
 紅蓮の髪の鬼となった僕を、雅量はしっかと見つめていた。
「そっか、夢じゃなかったんだ」
 くしゃりと、雅量は掛け布団を握る。
 嬉しいんだか悲しいんだか、僕からはよくわからない表情だった。もしかしたら彼女自身もわかっていないのかもしれない。
「私はアナタに恋をした。でも、私は退魔士でアナタは鬼。この恋は、きっと許されないのでしょうね」
 雅量の弱気な言葉をかき消すように、僕は叫んだ。
「それがなんだよ。お前は僕が好きで、僕はお前が好きだ。それ以上の何が必要なんだ」
 だけど、僕にだってわかっている。
 それだけでは駄目なことを。仮に二人が互いを想っていても今のままではきっと悲劇にしか繋がらない。きっと陽の下を歩ける恋ではない。
「人間と妖怪が憎み合うのがこの世界の理だっていうなら、僕はそんなものぶっ壊してやる」
「アナタ、本気で言っているの?」
「本気も本気さ。これでも人間と妖怪が共存できる世界を目指している異端の退魔士の息子なものでね」
「だったら、口だけじゃないことを示して。だから二人で歩める道を探しましょう。――二人で」
「まかせろ」
 具体的な計画なんてない勢い任せの約束。けれど、心からの誓い。
 僕は包み込むように雅量を抱き寄せる。
 鬼が人歩む道は、あまりに遠く、それでも雅量はこんなにも近くに感じられる。
 もうすぐ、夜がやってくる。
 だけど僕らは夜明けに向けて歩くだろう。

【巫女が恋した月下の紅蓮】了

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