ムシクイ/第4話

~露呈する秘密~


 一限目をサボっての、紗坂との決闘は壮絶なものだった。ただし、一方的に。
 俺は男女平等の元に、本気で紗坂の相手をしたが、まったく勝ち目が見当たらない。
 殴り掛かっても簡単に攻撃をいなされ、生じた隙を狙って紗坂は容赦なく打ち込んでくる。
 格闘技も喧嘩殺法にも心得がない俺が『一騎当千』と噂される紗坂に挑むのは無謀だったのかもしれない。
 しかし、俺の悪友を強引な手口で手籠めにしようという輩に手加減するつもりはない。
 実の親の教育方針から、暴力に晒されるのなんて慣れてしまっている。よって、紗坂から殴られようが蹴られようが、そんなものは考慮に値しない。
 俺は口内に溜まった血反吐を吐き捨てると、今一度、紗坂を見据える。
 ヤベエ。今の俺はズタボロで、逆転なんてほぼ不可能なのに、この状況がどんな娯楽よりも楽しい。
 殴られ続けて、脳内物質の分泌が異常を来しているからか。はたまた、実は俺がドMだからなのか。
『俺』という人間は存在しないし、してはいけない。なぜなら、俺は陽向が辛い現実から逃避のためにつくった偽物だからだ。
 偽物の心は愉悦を感じるはずがない。存在しないのだから、そこに魂は宿らない。それが当然の理屈だ。
 にもかかわらず――。
 偽物の心が躍る。無いはずの魂が燃える。
「ウヲラララララッッ!」
 俺の叫びは、言語というよりは獣の咆哮。
 向う見ずで無計画な突進。
 八つ裂きにするべき怨敵は、俺の死力を尽くしての突撃に、しかし余裕の笑みを浮かべていた。
「その生き様は良し! けれど、それだけでは私には勝てんよ!」
 考えなしに突っ込むだけの俺を、紗坂は勢いを利用して壮大に投げ飛ばした。
 俺の視界が二転三転する。空が見えたかと思えば、次には地が目に飛び込んでくる。
 飛翔から墜落までは一瞬間のはずなのに、世界に流れる時間は滑稽なまでにスローだった。
 もっとも、いくら体感時間が引き伸ばされても、俺が取れる行動なんて無いに等しい。
 地面への帰還は、お世辞にも華麗とは言えなかった。したたかに背中を打ちつけた。せめてもの救いは、無意識的に受け身が取れていたことだけだ。よくやった、俺の条件反射。
 地面に倒れながら、俺は遥か彼方の蒼穹を仰ぐ。
 現在、体育館は使用されていないらしく、辺りは静寂に包まれていた。
 惨めなまでの敗北。完膚なきまでの挫折。
 なのに、自然と心は穏やかだ。
 こちらに向かって近づいてくる足音が聞こえる。
 銀の死神が俺にトドメを刺そうとしているのだろう。
 けれど、俺に一切の怯えはない。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。
 俺の横に屹立しながら、紗坂は俺を獰猛な笑みで見下してくる。
 ちなみに、この角度からだと、スカートの中身が見えたりするのだが、敢えてそれは言うまい。豪快な性格に似あわず色は白だった。意外と純情派なんだな。
「勝負ありだ。殺すなら殺せよ」
 このまま死ねたら、きっと今の清々しい気分は永遠になるに違いない。そんな錯覚を抱いていた。
「いや、ここは法治国家の片隅だから命まではとらないよ」
 至極まっとうな返答の紗坂。鳩尾を踏みつけられるくらいの覚悟はあったので、逆に拍子抜けだ。
「それでも香奈は盗っていくんだろう?」
「そういう約束だからな。でも、それで彼女の心まで奪えるかがちょいと困りところでね。どうせなら私は彼女の体だけでなく心も欲しい。心から私に惚れさせたい。だからさ、お前は私に協力しろよ」
「俺に悪友を売れっていうのか? そんなのはゴメンだね」
 言ってから俺は自分の失敗を悟った。
「『彼女』ではなく『悪友』かね。お前たちは付き合ってるんじゃなかったのか?」
 見事なまでに語るに落ちた。やっぱ俺、嘘をつくにはトコトン向いてねえな。
 ここまできて取り繕うのは不可能と判断し、俺は正直に吐露する。
「お察しの通り、俺は香奈の彼氏でもなんでもない。ただの腐れ縁の悪友だ。だけどな、腐れ縁でも俺にとっては大切な絆なんだよ。それを奪おうっていうなら、俺は死ぬまで戦い続けるぜ」
 俺は言ってやった。もっとも、地面に這いつくばった状態で吐いても、格好のつく台詞ではないが。
「いいぜ、そういう勇ましさは大好きだ。お前、男にしておくのが正直勿体ないな。……というか、私が事前に聞いていた中原陽向についての情報と、お前の人間像がえらく食い違っているのはどういう了見だ?」
 ここで紗坂は首を傾げて見せる。
「俺は噂ではどんな人間だって言われているんだよ」
 何となく察しはつくが、確認のため聞いておく。
「何度も自殺未遂を繰り返す生きる気力の希薄な人間」
「当たってるじゃないか。よっぽどの死にたがりじゃない限り、一騎当千と揶揄される奴と一騎打ちなんてしないよ」
「それはどうだろうな。自殺ってのは人生に絶望してやらかすことだろう? でも、さっきのお前からは困難を克服しようっていう不屈の意思が見て取れた。そんな奴が自殺未遂を繰り返すとは考え難い」
 紗坂の考察は、怖いぐらいに的を得ている。
 そして、紗坂は俺にとっての断罪の言葉を振り下ろしてくる。的確に、残虐に。
「実はお前、中原陽向という人間じゃないだろう?」
 取り乱しそうになる心を律し、俺は一端とぼけた顔をしてみせた。
 紗坂の言う、俺が中原陽向ではないという言葉の真意を確かめなければならない。
「随分と奇抜な発想だな。残念だが、俺は中原陽向だよ。これがその証明だ」
 俺は胸ポケットに入れていた顔写真付きの生徒手帳を紗坂に提示。
 自分が中原陽向であるという宣言は、自分で言っていて気持ちが悪い。自己矛盾から、背中から首にかけて冷たい手で撫でられたような不快感が生じる。
 紗坂は生徒手帳を一瞥だけして、しかし首を横に振る。
「私が言う『お前が中原陽向ではない』っていうのは、そういう身分証明がどうとかって意味じゃないよ」
「となると、自分とは何ぞやとかいう、思春期特有の自分探し的な何かに話がシフトしそうだな」
 茶化していうが、俺は焦っていた。もし、紗坂がそういった哲学的な話をし始めたら、俺は自分を中原陽向であると立証できない。まあ、俺でなくとも『自分は自分である』なんて命題なんて一生をかけて証明していくものなんだろうけれど。
「私が言いたいのはね、そういうエセ哲学とかじゃない。誤解を恐れずに言えば魂の問題だよ」
 胡散臭さの究極系みたいな単語を、臆面もなく紗坂は言ってのける。
「俺はスピリチュアルな話は信じないタイプの人間なんだがね。というか宗教の勧誘ならお断りだ。そういうのはよそでやってくれ」
 まさかこいつ、俺の前世とかオーラの色を診断してきたりしないよな。もしそんなことをしてきたら、俺は全力でこいつと距離を置く。そういうのは仲間内のレクリエーションとして楽しむ分には良いだろう。でも、本気でやられたら俺は引く。
「私も宗教は信じないよ。あれは所詮、教祖とその取り巻きが利益を搾取するためだけのシステムだ。魂という言葉が胡散臭いなら……そうだな、思考形態と言い換えてもいいだろう。中原陽向、お前には二つないしそれ以上の思考形態が存在している――私はそのように見立てるね」
「俺は物事を柔軟かつ複眼的に捉えていきたい人間でね。確かに思考形態だけならいくつも持ち合わせているさ」
 紗坂が抽象的な言い回しをしている以上、俺も抽象的な返答でこの場を取り繕う。
 そんなまどろっこしいやりとりに業を煮やしたのか、紗坂は不快そうに顔を歪める。
「ワリいワリい。ちょっと、お前に気を使いすぎてた。迂遠な言い回しでは真実に近づけんよな。もっと単刀直入に言うわ。――お前の中には人格が複数人いる。つまり、お前は多重人格者だ。それとも、解離性同一性障害と言った方が医学的には適切かな?」
 見事に急所を突いてくる紗坂。
 俺は愕然とした。
 初対面で、しかもこんなガサツそうな人間に、俺が今まで必死に隠してきた秘密が看破されようとは。
 眼前の銀の少女の眼力に、俺は恐怖を覚えた。
 いや、恐怖というよりは畏敬と表現するべきだ。
 それが抱いた恐れの中には、同時に感動も含有されていた。
 俺が多重人格者であるというのは、今まで誰も見ようとしてこなかった真実。
 周りの有象無象は言わずもがな。
 ずっと悪友として付き合ってきた香奈すら気づかなかった。
 俺を診断した医者は『そんな病気は存在しない』と論理を振りかざし否定した。保護者である叔父夫婦もその医者に賛同した。
 ところが紗坂銀華という少女は、俺と一戦手合わせしただけで真実にたどり着いてしまった。
 ならば……どうする?
 保身を最優先にして、嘘を重ねて真実を隠蔽するべきか。
 それとも紗坂の英知に敬意を表して真実を暴露するべきか。
 一瞬の懊悩。しかし、それが命取りになった。
「おいおい。こんな荒唐無稽な考えを、すぐさま否定できないなんて認めているのと同じだよ」
 紗坂は苦笑する。
 まさしく以ってその通り。俺が優柔不断な態度を取った段階で勝敗は決していた。
 俺は、深々とため息を吐くと、いい加減地面に倒れているのも飽きたので立ち上がる。
 紗坂の猛攻のせいで体の隅々が軋むが、動けない痛みではない。
「いかにも。俺は中原陽向の交代人格だ。ちなみに名前なんてない。ただの名無しだよ」
 ここで邪悪な笑みを浮かべれば、ちょっとはホラーな雰囲気が演出できただろうか。いや、それはないな。そもそも俺の病気を見抜いたのは紗坂本人だ。加えて、仮に俺が逆上して襲いかかろうと紗坂にはそれを蹴散らす戦闘力があるのは実証済み。
「素直でよろしい。やっぱり多重人格だったか。ちょいと話が飛躍しすぎかとも思ったが、鎌はかけてみるものだな」
 ……はい?
 紗坂は嬉々として言うが、俺は阿呆みたいに口をぽかんと開けることしかできない。
「つまり百パーセントの自信があって、俺が多重人格だと宣言してきたのではない、と?」
 やがて冷静さを取り戻した俺は紗坂に問う。
「当たり前だ。私には心を読む程度の能力なんて実装されていないからな。仮説を立てて、それが正しいか手探りで確認するしかできんよ」
 なんという科学的な手法。こいつは昨今の学生の理系離れに逆行しているようだ。
「まんまと俺はおたくにはめられたわけか」
「『おたく』なんて言い方はやめてくれ。気楽に紗坂と呼んでくれればいいよ。それでさ、もしもお前が自分の病気を、今後も隠し通したいっていうなら、ちょいと私に手を貸せや」
「それはつまり、香奈を口説き落とすのを手伝え、と?」
「そういうこと。もし断った場合、私の口はヘリウム原子並みに軽くなるのであしからず」
 紗坂は暗黒色の微笑を湛えて俺に告げてくる。
 どうやら俺は、とんでもない奴に秘密を握られたらしい。

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