ムシクイ/第9話

~病院送り~


 塩町に刺された俺は、しかし、しぶとく生きていた。
 次に目が覚めたのは、陽向のリストカットで運び込まれた病院のベッドの上。
 医者の話では、塩町のナイフは見事に内臓のない箇所をすり抜けて刺さったらしい。そのため見た目に比べれば人体の損傷は軽微らしい。
 そういった旨を説明した医者に、俺は話の要約として『刺された箇所に内臓が無いぞう』とか言ってみた。
 ……いや、だって、せっかくシチュエーションが整っているんだから言ってみたくなるじゃないか。これを逃せば、一生を費やしてでも同じ状況には遭遇できまい。
 医者は『それだけの軽口が叩けるなら一安心ですね』と、可哀そうな子を見る目をしていた。
 俺が可哀そうな子であるのは認めるが、実際にそんな目で見られるとヘコむね、やっぱり。
 ただ、俺が目覚めてから三日目くらいに看護師のお姉さんから、喜ばしい話を聞いた。『内臓が無いぞう』がナースステーションで流行ってしまったんだとか。いやはや、一つの流行をつくってしまうなんて俺のセンスも存外捨てたものではないな。
 でも、どういう文脈で『内臓が無いぞう』なんて台詞を使うのだろう? むしろ、よく考えたら治療者側が言うと不謹慎だな。まあ、職場にユーモアがあるのはいいことだ。そういう風にまとめておこう。
 それでだ――。
 現在、ベッドサイドの椅子にはお見舞い客が座っていた。
 いわずもがな、香奈である。
 ニコニコ顔なのに、背後にまとっているオーラがドス黒い。
 死亡フラグという言葉が今の俺には良く似合う。ベスト死亡フラグニストと呼ばれてもやむなし。
「……香奈さん。何か俺はやらかしてしまったでしょうか?」
 地雷を回避するためには情報が必要だ。
「わざわざ言わないと、アンタはわかんないのかしら?」
 香奈の笑顔が、剣呑に歪む。
 どうやら質問という行為自体が地雷だったらしい。誰か人間関係という地雷原に、地雷感知植物であるシロイヌナズナを植えてくれ。
「わかりました。告白いたします。いつぞやの雨が激しかった日の帰り道、傘を忘れた香奈がずぶ濡れになったことがあっただろう? 実はあの時、俺は折り畳み傘を持っていた。けれど、制服が濡れればブラが透けて見えるよね、という邪な考えの元に折り畳み傘があるのを黙っていました。お許しください」
「誰もそんなことは責めてないわ! というか説明が長い!」
 ここが他の患者もいる病室であるのも忘れ、香奈は怒鳴り散らす。
 しばし、俺と香奈の間に沈黙が流れるが、香奈はおずおずと――。
「……えっと、その……私のブラ見たの?」
 恥じらい顔で訊いてきた。
「……しっかと拝見させていただきました。黒いブラってやっぱりアダルティな妖しい輝きを放つよね」
 俺の真実報道。香奈は俺の頬を殴ってきた。パーではなく本気のグーだった。
「馬鹿! 変態! 死ね! うええーん!」
 居たたまれなくなったらしく、香奈は脱兎のごとく病室から逃げていく。
 ふっ。女を泣かせるとは、俺も男として地に堕ちてしまったな。
 なんてニヒルを気取ってみるが空しい。いや、そもそもニヒリズムは和訳すれば虚無主義だから、言葉の使い方としては適切なんだけど。
「おいおい、私の嫁候補を泣かすなよ」
 香奈と入れ替わるように、次の見舞い客が入室。
 紗坂銀華だった。
 学校帰りらしく制服を着用していた。ただし相変わらずの銀髪にシルバーピアスという出で立ちなので、まともな学生には見えない。
「よお、馬鹿野郎。元気に生きてるようで何よりだ」
 開口一番、紗坂は憎まれ口を叩いてくる。
 どっかりとベッドサイドの丸椅子に紗坂は腰を掛ける。
「どういうわけか、死ねない運命にあるみたいでね。そういう意味では俺は物語の主人公向けなのかもしれんな」
 主人公はタフでなければならない。そうでなければ降りかかる試練に太刀打ちできない。
 紗坂は俺の言葉を一笑に伏した。
「お前のツラでは主人公は無理だろう。主人公の傍らにいる、いわゆるワトスン役が関の山だ」
「うるせえ。ワトスン先生を舐めるな。あの人なくしてホームズは世に出ることはなかった。ワトスン先生みたいな有能な人材をないがしろにする奴は大成できんぞ」
「そんなに熱くなりなさんな。まあ、私はホームズシリーズではホームズ派でもワトスン派でもないからどうでもいいんだけど。しいて言うならアイリーン・アドラー派だからね、私」
 なかなかに通なチョイスだな。いや紗坂の場合、単純に『アイリーンは女だから』あたりが理由だな。
 わかりきったことは、あえて確認なんてしない。
「お前がこんなところまで来た目的はなんだよ。入院中の無様な俺を笑いに来たか?」
「そんなんじゃないよ。えっと、なんだ……」
 急にしどろもどろになる紗坂。
 何かを言いたいことがあるようだが、口をもごもごさせてなかなか言い出さない。
 優柔不断な態度。紗坂にしては珍しい。明日は雹でも振るな、きっと。
「お、お前にお礼をしにきたんだよ」
 俯きながら、上目づかいで紗坂は言ってくる。
 美少女にそんな仕草をされると、男としてはどぎまぎせざるをえない。だが、俺は冷静な態度を努めて装う。
「あの時は私を庇ってくれてありがとう。正直、感謝している」
 紗坂はギクシャクとだが笑顔を作ってみせる。
 ……普段は粗暴な少女の殊勝な態度。これは男にとっては戦略兵器である。今すぐ国際条約で使用を禁止すべきだ。
 そんな突拍子もない発想に至るまでに、俺は紗坂に心を鷲掴みにされた。
「随分と、仲がよろしいのですね」
 俺たちのやりとりを聞いて、声を掛けてくるものがいた。
 それは俺の隣のベッドのご婦人だった。菩薩のような柔和な表情で俺たちを見ていた。
 ご婦人の視線に、紗坂はちょっと困ったように頭を掻いた。
「別に仲がいいとかそんなんじゃないよ、母さん」
 ――母さん。
 紗坂はご婦人をそう呼んだ。
 けれど、俺はいちいち驚かない。
 ご婦人のベッドのネームプレートには『紗坂桂子(ささかけいこ)』とある。それには俺も目覚めて一日目で気づいていた。
 紗坂なんて珍しい苗字。紗坂銀華の親類縁者の可能性が高いと考え、俺は気付いたと同時に紗坂銀華を知っているかと訊いてみた。
 するとご婦人は、なんら臆することなく自分は紗坂銀華の母であると答えた。
 世の中は広いようで狭い。担ぎ込まれた病院のベッドのお隣さんが、病院に運び込まれる原因となった少女の親御さん。こんな偶然もありうるんだなと、俺は天の采配にすっかり感心してしまった。
「あらそう? でも、中原君は貴女を守って病院に運ばれたのでしょう? それぐらいしてもらえる相手なのだから、相当親密だとワタシは思っていましたよ」
 桂子さんは優雅に相好を崩す。その様はまさに貴婦人という言い方がぴったりだ。
「……お前、母さんにことの顛末を話したの?」
 紗坂は罰の悪そうな顔で俺に訊いてくる。
「話の成り行きでな。といっても、俺は真実しか伝えてないからな。それでもお前に都合が悪いとしたら、それはお前のちゃらんぽらんな行動の責任だ」
 俺はあらかじめ釘を刺しておく。
「あーうー、それは……」
 威風堂々とした態度がトレードマークみたいな紗坂の目が泳いでいた。実に珍しいシーンだ。ケータイのムービー機能で撮って紗坂ハーレムの子らに見せてやりたい。もっとも、ここは病室でケータイの使用は禁止されているから無理なわけだが。
「銀華、ちょっとこっちに来きなさい」
 桂子さんは、ちょいちょいと彼女のベッド脇の丸椅子を指差す。
 頭を垂れながら、紗坂は彼女の母の脇へ移動した。
 そして、始まる母から子への説教。
 普段は勇猛果敢な豪傑であらせられる紗坂銀華にも、頭が上がらない人がいるようで。
 ちなみに今の紗坂銀華を、一言で表現するとこんなカンジ。
 ――銀華様(笑)
 紗坂に散々振り回されてきた俺としては溜飲が下がる思いだった。
 横では三十分ぐらい説教が展開されていたが、俺は紗坂の弁護には回らない。なぜなら面倒臭いから。
 説教の間、俺は優雅に少年漫画雑誌を読んでいた。今週は『見た目は子供、頭脳は大人』な探偵漫画が事件解決編。相変わらず巧みにバラまかれた伏線に関心しながら拝読。
 俺が漫画を堪能し終える頃には、ちょうど紗坂親子の説教も終了していた。
 紗坂はすっかり反省したらしく、しょげてしまっていた。これを機に、彼女の行動からアグレッシブさが抜けてくれるのを祈るばかりだ。
「その節は、本当に娘をありがとう、中原君」
 説教を終えた桂子さんは、改めて俺に頭を下げてきた。
 紗坂母の態度は、誠実にして真摯。どうして、このような立派な淑女の娘が紗坂銀華なのか不思議でならない。この親子の性格の違いを以って、性格は遺伝的要因に起因しないと心理学の論文でも書いてみようかしらん。……いくらなんでもデータ数n=1では、暴論にしかならんか。
 俺は学究にも向かないなあ、とか無意味に自分の進路を憂いてみる。
「いや、まあ、あの時は俺も咄嗟に身体が動いていただけなんで、そんなにお礼されても困ります。頭を上げてください」
 あの時、俺が紗坂を庇って刺されたのは、おそらくだけど『俺』の意志ではない。死にたがりの陽向が、勝手に死に場所を見出して飛び出していっただけ。
 だから、あの時の行動は広い意味での自殺未遂。軽蔑されこそすれ、感謝されるようなことではないのだ。
「貴方は、本当に優しい子なのね」
 頭を上げた桂子さんの目は優しかった。
 けれど、どこか切ないものを見るような眼差しに感じられた。それは、俺が抱えるやましさの投影なのだろうか。それとも……。
 いや、深く考えても答えなどでまい。
「ありがとうございます」
 俺は素直に、桂子さんの感謝を受け取ることにした。
「ところで中原君、体の調子はいかがかしら?」
 紗坂母の唐突な話題転換。もしかして、俺の言葉に混じっていた躊躇いを感知したのかもしれない。
「調子は上々ですよ。担当医の話ではあと一週間も安静にしてれば、退院できるそうです」
「さすがに若いと回復力が違うわね。ワタシみたいなオバサンでは追いつけないわ」
「何を言います。桂子さんも十分に若々しいですよ。早く良くなって、そこの暴走気味な娘さんの手綱を握ってください」
 早く桂子さんが退院できれば良いという想いは本物で、本音で、本心だった。
「……そうね。そうなるように、ワタシも頑張るわ」
 桂子さんは、一拍置いた後にそのように答える。
 笑顔もどこかぎこちない。
 娘の方に至っては、両手に拳を握って、振るえていた。
 和やかな雰囲気は一転、曇天へと移行していた。
「なあ、お前。ちょっと面貸せや」
 俺を真剣な目つきで睨みながら、紗坂は言ってきた。
 本当はベッドで安静にしていなければいけない身の上。加えて紗坂からは刺々しい空気が放出されている。ここで彼女と二人きりになるのは、明らかに危険。
 だけど、ここで逃げると後々に問題が雪だるま式に膨れ上がりそうでもある。
 後顧の憂いを絶っておきたい俺は、紗坂の提案に頷いた。
「いいぜ。その代わり、看護師さんに行って車椅子を借りてきてくれ。そして、その車椅子を押すのはお前の仕事。これでOK?」
 俺からの申し出に「ああ」とだけ返して、紗坂は一端病室を後にした。

次→

←前

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする