ムシクイ/第11話

~カイム~


 桂子さんに、紗坂を守るように仰せつかってから一週間。特に何か事件が起きるでもなく、俺は日々を過ごしていた。
 世話焼きの香奈が、毎日学校で配られる課題を見舞いの品として持ってきてくれるので退屈はしなかった。
 というか、出席日数は目減りする一方。なので、俺は他の生徒よりも勉強し、課題提出や、これから始まるであろう期末テストで点数稼ぎをしなくてはならない。さもなければ、夏休み返上での補修への強制召集が待っている。いや、それだけで済めばまだいい方で、最悪留年というケースもありうる。
 留年なんてしたら、保護者の叔父夫婦に家を出て行けと言われかねん。
 なので、毎日がホームワークならぬホスピタルワーク。
 しかし、そんな灰色の入院生活も今日でお終い。俺は晴れて医者から退院許可が降りた。
 退院は、叔父夫婦に迎えに来てもらう都合で夕方になる。
 退院は基本的に喜ばしいことだが、一つ心残りがある。
 桂子さんである。
 桂子さんが何を思い、娘を俺に守らせようとしているのかは、あれから一切話題にしていない。
 それでも、入院中の俺は桂子さんと交流を深めた。
 特に桂子さんは、文学に対して広く深い造詣をお持ちで、割合に読書家な俺とは話が合った。
 ありていに言って楽しい時間だった。そんな日々が今日で幕を閉じると考えると、名残惜しさを感じずにはいられない。
「この一週間、本当にお世話になりました」
 一通り退院の準備を済ませた俺は、桂子さんに謝辞を述べた。入院中に使った衣類や雑貨、そして学校の教科書や課題などをバックにまとまた状態にある。
「お世話だなんてとんでもない。助けられたのはワタシの方ですよ。アナタと過ごした一週間はとても有意義なものでした」
 桂子さんは、いつも通りの穏やかな微笑みを湛え、俺に返す。
「退院しても、お見舞いに来てもいいですか?」
「もちろんですとも。その時は銀華と一緒に来てちょうだいね」
「娘さんとですか……。俺は別に構わないですけど、向こうがどう思うでしょうか。というか彼女、そもそも男嫌いですし」
 アイツの場合、『二人きりで見舞いに行って、周りからカップルと間違われたら忌々しい』とか言いそうだ。
「そうね。銀華の男嫌いもちょっと困りものね。女の子と付き合うのには反対しないけれど、でも男の子の恋人も見てみたいわ」
「……そもそも、どうして娘さんは男嫌いになったんです? 何かトラウマでもあるんですか?」
 ずっと気になっていたことを、別れ際になってようやく質問してみる。これまでは、この質問に禁忌感を抱いており遠慮していた。けれど、今この時を逃してはチャンスはないだろうと判断。思い切って訊いてみた。
「それは……」
 桂子さんは言いよどむ。いつでも明朗な彼女にしては珍しいことだった。
「それは、お前には関係ない」
 背後から苛立ちに満ちた声が投げつけられる。
 振り向くと紗坂銀華がそこにいた。
「銀華……」
 桂子さんは、寂しそうな目で自分の娘を見つめる。
「私がいない間に、変な詮索とは気に食わないな。そんな下らない話に、母さんを巻き込むな。聞くなら私に直接訊きにこい」
 紗坂の言葉はヤマアラシの刺々しさ。
 本人は自分に訊けと言っているが、それは紛うことなき地雷だろう。用心されよ、用心されよ。
「あら銀華、中原君のお見舞い?」
 桂子さんはいじわるく訊いた。
「そ、そんなわけないだろう。私は母さんのお見舞いにきたんだよ。着替えとか色々要るものがあるだろう?」
 紗坂はボストンバッグを桂子さんに差し出す。
「ふふふ、いつもありがとう」
 人を食ったように桂子さんは笑う。
 こうしていると、紗坂も普通の女の子なんだけどなあ。とかなんとか、俺は妙にしみじみとした気分に浸る。
 母と娘の微笑ましいやりとり。まさに二人きりの時間。
 そのはずだった。
「仲良きことは素晴らしきかな、ってカンジだな」
 重低音の男性の声が病室入り口から響き渡る。
 俺にとっては聞き覚えのない声。
 見ると、くたびれた背広姿の無精ヒゲの男性が入り口脇の壁に凭れていた。
「なんで……なんでテメエがここにいる!」
 男性に向かって吠える紗坂。
 敵意むき出しの威嚇。
「よう銀華、久しぶりだな。元気にしてたか?」
 紗坂の叫び声にびくともせずに男性は手を振ってみせた。
 誰だろう、と俺は首を傾げる。
 そんな俺に桂子さんは丁寧にも説明を加えてくれる。
「彼は、加原実朝(かはらさねとも)。ワタシの元亭主で、銀華の実の父親です」
 桂子さんは紹介してくれるが、俺は釈然としない。
 桂子さんは加原と名乗る男が紗坂の父親と言うが、彼と紗坂銀華は似ても似つかない。容貌が似ていないとかではなく、まとっている空気感が全く別物だ。性格が正反対の親子なんてざらにいるだろう。けれど、紗坂と加原さんの雰囲気のズレはベクトルレベルを越えて位相レベルで生じている。
 例えるなら、火と水と言うべきか。苛烈で情熱的な紗坂の気質に対して、加原さんはとらえどころがない。
 馬が合わないとか、反りが合わないとか、そんな次元では語りきれない捻じれを二人からは感じる。
 一方で、桂子さんと加原さんが元夫婦というのもピンとこない。穏やかな桂子さんと、飄々とした加原さん。一見すると親和性がありそうだ。けれど、桂子さんの純粋さに対して、加原さんは一癖も二癖もありそうだ。お見舞いと称しているのに、だらしにない格好で来ているのが証拠。
 それは自由というよりは無精。心配りに興味を抱かないような、そんな印象。
 もっとも、桂子さんと加原さんの関係は『元』夫婦。この二人はどこかで破局を向かえているので、どこかちぐはぐでも仕方がない。
 それよりも問題なのは、紗坂の激昂ぶりだ。
「出てけ! 今すぐ病室から出ていけ! そして私たちと関係ないところで死に絶えろ!」
 獰猛な咆哮は鳴りやまない。
 ここが病院の一室であるのなんて関係なし。紗坂は火のついた火薬庫のごとく荒れ狂っていた。
「いやはや、オレは相当に嫌われてるなあ。ちょっとは静かにしないか、銀華」
 嫌味な笑みを張り付けながら、加原さんは言う。
「お前が容易く私の名前を呼ぶな! その名前は母さんが私につけてくれた宝物だ! それを汚そうってんならぶっ殺してやんよ。表に出ろや!」
 火に油というか、もはや火に燃料気化爆弾の勢い。
 紗坂なの猛攻の連続に、うんざりした様子で肩を竦める。
「銀華が駄目なら、俺は君を『カイム』と呼ぶしかないんだが?」
 その瞬間。
 紗坂が凍りついた。
 声も、表情も、身体も。まとめていうなら、彼女の体感時間の全てが。
 ――カイム?
 謎の単語に俺は首をひねる。
 皆無? 会務? 海務?
 次々と脳内で漢字変換をしてみるが、どれも違う気がする。
「そ、その名で、よ、呼ぶな……」
 呼吸困難寸前みたいな形相の紗坂。そこに先ほどまでの勢いはなかった。
「では、その要望に応えるためには、やっぱりオレは君を銀華と呼ぶしかないわけだが?」
 加原さんに嘲弄される紗坂は答えない。
 沈黙を以って返答とするしか手がないのだろう。
 それは完全なる紗坂の敗北。
「もういいでしょう。銀華にちょっかいを出すのはおやめなさい」
 凛とした桂子さんの停止命令。そこに普段の穏やかさはない。
 娘を守らんとする母の力強さが込められていた。
「オレはちょっかいを出すつもりはなかったよ。銀華が勝手に怒ってきただけだ。いや、まあ銀華に不信感を持たれることを過去にしたオレに責任があるわけだが」
 それまでの飄々とした様子とは一転、加原さんは急に態度を殊勝なものへ改める。彼の物腰の変容に、逆に警戒の色を強める。
「テメエ、何を企んでやがる?」
 猛禽の鋭さで、紗坂は加原さんを見据え直す。
「何も企んでいないよ。ただ、風の噂で聞いたんだが、桂子の病状は芳しくないんだろう? もちろんオレは桂子に回復してほしいが、もしもの場合というのも考えておかねばならない。だからね、その時にオレが銀華の後継人に立候補したいという話なんだ」
 淀みなく、加原さんは言葉を並べ立てる。その流暢さは、逆に胡散臭いくらいだ。
 普通なら、ここは別れ離れになっていた親と娘が和解する場面なのだろう。
 しかし、この場合、そんなに簡単なお涙頂戴には流れない。
「お断りだ。もしもだ、仮にもしも母さんが居なくなるようなことになっても、私はテメエには頼らない。頼ってなるものかよ」
 金剛石の頑なさで、紗坂は宣言する。
「どうしてだい? オレたちは実の親子じゃないか。もう一度、一からやりなおそう。それが、絶対に君のためになる」
 加原さんの説得は、甘ったるく、同時に甘っちょろい、口当たりのいい言葉回し。
 ――君のため。
 加原さんはそう言う。けれど、その言い方をする人間が、本当に相手のためを思っていた例を俺は知らない。
 相手のため、人のため、とお題目を抱えながら、結局は自分のためになることしか考えられないのが人間だ。
 そんな言葉を容易く口にできるのは、どうしょうもない善人か詐欺師くらいなもの。
 加原さんの場合はどうなのだろうか?
 会って数分と経たない俺には判断は難しい。
 けれど、紗坂は加原さんを一閃する。
「ふざけるな。テメエはどうせ母さんの財産目当てだろうが!」
 三度、紗坂の怒りは煉獄の炎となって吹き上がる。
 いまいち事情が読めない俺は、完全なるアウェイ。好奇心は猫を殺すとも言うが、それでも疑問を残すのはよろしくない。
 よって俺は、事情の解説をお三方に求めることにした。

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