ムシクイ/第12話

~家庭事情~


「桂子さんの財産目当てってどういう意味だ?」
 部外者である俺の問いは、決して空気を読めているとはいえないもの。
 けれど、ここにいる以上は自分も関係者なんだい! と内心では開き直ってみる。
 どちらにせよ、何も知らないまま、心のしこりとして残すのは精神衛生的に芳しくない。
 それにここで退室してしまって、あまりに薄情な気がする。
「母さんはね、時海香子というペンネームで作家活動をしているんだ」
「なんと!」
 紗坂の説明に、驚愕する俺。
 時海香子といえば、本読みなら知らない人はいないベストセラー作家だ。多くの著作がドラマ化・映画化されている。
 かく言う俺も時海先生の大ファンで、少ない小遣いをやりくりして多くの著作を読んでいる。
 それどころか、入院中の桂子さんとの文学談義で偉そうに時海香子の魅力を語っていました、俺。
 めちゃくちゃ恥ずかしい! これは釈迦に説法なんてレベルではない。
 陽向、今だけは許可する。いっそ俺を殺してくれ。
 可能ならば床で転がり悶えたい。
「中原君は、随分とワタシのファンのようしたね」
 純白のにこやかさで、桂子さんは言う。
「いや、まあ、はい。というか、ご本人なら俺が時海先生の話をしているときに名乗ってくださいよ」
「あら、アナタは私が時海香子だと言って、それを鵜呑みにしたのからしら?」
 桂子さんはぐさりと核心をついてくる。
 確かに、いきなり自分はベストセラー作家だなんて告げられても俄かには信じられない。いや、俺の性格ならまず疑ってかかる。その挙句『すごいですね』と上辺だけ頷いて、内心では信じないなんてことをやりかねん。
 俺は改めて自分の器の小ささを自覚するのでした、まる。
 傷心モードに入りかかるが、そんな場合ではないので強引に心をギアチェンジ。
 桂子さんがベストセラー作家であるとするならば、紗坂が言わんとする意味は明白だ。
 すなわち――。
「加原さんは娘の後継人になることで、桂子さんの財産を管理しようとしているのではないか、という話か」
 図式としては明瞭簡潔。
「そういうこった。この男は金目当てで私たちに近づいてきたんだよ」
 紗坂の力強い断言。
 けれど、加原さんは一歩も退かない。
「そんなことはない。オレは純粋に銀華の未来を憂いて後継人を務めようとしているだけだよ」
 加原さんの言い分は白か黒か。
 現時点の俺の中では、加原実朝はグレーゾーンの住人だ。
「テメエの戯言なんて誰が信じるか! 消えろ。それともここのお医者さんのお世話になりたいのか?」
 顔を怒りで歪ませながら、紗坂は拳を構える。
「いやはや、これでは話し合いにならないね。いいだろう、今日のところは帰らせてもらうよ。銀華が冷静に話し合えるときに、この話を進めたいね」
「私は今でも冷静だ! 喧嘩売ってるのかテメエ!」
 激しい剣幕の紗坂は、断じて冷静とは評し難い。
 困ったように肩を竦める加原さん。
「その苛烈さが君も君の美しさの一面だから、オレは肯定するよ。それは日を改めてまた会おう」
 ひらひらと手を振って、加原さんは病室を後にする。
 加原さんが去ってなお、紗坂の怒りは抜けきらない。美麗な顔を悪鬼のごとく歪めていた。
「銀華、いい加減に怒りを収めなさい」
 桂子さんは、淡々と娘をたしなめる。
「おいおい母さん、あんな奴が来て腹が立たないのかよ?」
「そりゃ立つわよ。けれどね、あの男の存在よりも、銀華の綺麗な顔が怒りで歪んでいる方が私にとっては問題よ。せっかくの美人さんが台無しだわ」
 そう言われると、紗坂は罰が悪そうに、手を後ろに組み片足をぶらぶらさせる。
「美人だなんて……えへへ」
 紗坂がデレた!
 俺は夢を見ているのか? はたまた幻覚だろうか?
 子供のような真っ白な紗坂の笑顔は眼福である。しかし、普段の仏頂面を見慣れている者としては違和感しかない。
 けれど、それも一瞬のこと。
 驚嘆する俺に気付いた紗坂から、子どものような無邪気さが消失。胡乱そうな顔つきで俺を眺める。
「どうした? まるでクジラが宙を泳いでいるのでも目撃したようなツラしてるが」
 紗坂の問いに、まさか正直に答えるわけにもいくまい。
「天使と悪魔は全き一つのものなのかを考察していた。結論は出ていない」
 テキトーに誤魔化しておく俺。
「よくわからんが、まあいい。それで、お前は加原からどんな印象を受けた?」
 躊躇いもなく自分の父親を呼び捨てる紗坂。そこにあったのは明確な拒絶。
「正直、初見ではどんな人かまでは判然としないよ。掴みどころのない人だなあ、というのが素直な印象かな」
 無難な返答。つまり白でも黒でもない中立の意見と言うこと。同時にそれは、意見にすらなっていない玉虫色の言葉選び。
「それは愚者の回答だ。お前は選ばなければならない。私の味方をするのか、それとも敵になるのかを。加原に好評価を加えるなら私の敵だし、加原に嫌悪感を抱くなら私の味方。どっちかはっきりしろ」
 俺が訊かれたのは加原さんの印象のはず。なのに、彼を敵と見なすか否かと言う論議にいつのまにかすり替わっている。
「随分と強引だな。そんなんじゃ、逆にお前の敵を増やすことになりかねんぜ」
 人間関係には白でも黒でもないグレーゾーンが必要だ。いつでも白か黒か、零か一かの二分法では自分も相手も疲弊してしまう。
 とはいえ、俺は紗坂に弱みを握られている。俺が解離性同一性障害であるという一番厄介な問題を。
「わかったよ。俺はお前に味方する。これでいいのか?」
 降伏を無理強いされたみたいで気に食わないが、あえて飲み込んでやろう。それが大人遠いものだ。いやまあ、俺はまだ高校生ですけど。
「それで良し。私に感謝しろよ。お前は私のおかげであの男がクソであるという真っ当な側につけたんだから」
 ジャイアンみたいな理屈をこねる紗坂。女版ジャイアン様だ。ルックスだけなら天使か女神なので、本当に紗坂は勿体ない。
「参考までに訊いておくけど、加原さんのどこら辺がクソなんだ? 一体、お前たちに何があった?」
 紗坂一家の内情に踏み込むのはハイリスク・ローリターン。はっきりいって得なことなど無いに等しいだろう。
 けれど、中途半端に情報を持っているのが一番危険な状態だ。不本意ながら、俺は既に紗坂の問題に片足を突っ込んでいる。ならば、情報は細部まで知っておいた方が逆に安全と判断。情報がなければ、回避行動も事前の予防策も講じようがない。
「アイツはな、母さんというものがありながら、他に女を作ってたんだ」
 要するに浮気か。
 女性からしたら確かに許せんことだろう。しかし、どこにでもありそうな話なので俺は拍子抜けした。
 けれど、紗坂の言い分はそこで終わりではなかった。
「それにな、あいつは母さんが作家活動で稼いだ金をことごとく酒やギャンブルで浪費した。その癖『自分は芸術家だから、遊ぶのも芸のうち』とかほざいて反省もしない! こんなゴミやろうを許せるか?」
「それだと確かに典型的な駄目人間だな。というか――」
 このまま加原さんに対しての怨念を吐き出させても、紗坂はヒートアップするだけ。なので、俺は話題の修正を図る。
「加原さんって芸術家だったんだ? 専攻は何? 画家? 音楽家?」
 枝葉末節にもほどがある質問。だが、話の本筋でないところが我ながら素晴らしい。自分の駄目な方向に発達した質問力を褒めてやりたい。
 一端紗坂をクールダウンさせて、それからまた情報収集に切り替えていこう。とか、そんな甘い考えをしていた。
 けれど紗坂は、
「……あ、あの男は、……あの男がやったことは……」
 急に歯切れが悪くなる。いや、それどころか見る見るうちに紗坂の顔が青ざめていく。
「おい、どうした?」
 大慌てで紗坂の肩に手を掛けようとする俺。
「触るな! 男は私に触るな!」
 絶叫と共に、紗坂は俺の手を振り払う。
 そして、頭を抱えながら、その場にうずくまる。
「男なんてみんな一緒だ。あの男と一緒だ。害虫だ。男なんて害虫なんだよ!」
 気が触れたように、うわ言を漏らし始める。
 恐慌状態の紗坂に手を差し伸べたのは桂子さん。
 怯える娘を優しく抱き留める。
「落ち着きなさい、銀華。ここには虫なんていないわ」
 ――虫。
 その単語を聞いて、俺は以前ライブハウスで紗坂が刺されかけたときのことを思い出す。
 紗坂は、自分の服に止まった虫に、病的なまでに怯えていた。
 あのときから今まで、単なる虫恐怖症だと思っていた。しかし紗坂の現状から鑑みるに、どうにも事情は複雑なようだ。
「ごめんさないね、中原君。銀華に悪気はないの。でも……ね?」
 桂子さんの謝罪に、俺は空気を読むことにした。
「わかりました。俺もそろそろ叔父夫婦が迎えに来る時間なので、ロビーで待つことにします。この一週間、お世話になりました」
 俺が一礼すると、桂子さんは「こちらこそ」と慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。それだけ見届けると俺は病室を後にする。
 紗坂に対する謎が胸中で爆発的に増加するが、さりとて俺にできることなど何一つなかった。

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