ムシクイ/第13話

~屋上にて~


 本来なら唯一の出入り口が施錠されているはずの学校屋上で、俺は蒼穹を仰ぐ。
 空は気が遠くなるほどに高く、青く。
 千切れがちな雲が、風に煽られて流れていく。一つにまとまれないその憐れな様子を自分の心に例えて、感傷的な気分になってみる。
 いや、心や人格状態が解離してしまっていることよりも、今現在の方が問題だ。
 退院した次の日に俺は学校に復帰した。その復帰初日の昼休み、俺は再び紗坂によって屋上に拉致された。
 そして始まる俺と紗坂の密談。内容は、前回に引き続き、どうやれば紗坂が香奈を口説き落とせるかというもの。
 もっとも、二人のやりとりが厳密な意味で密談なのかは怪しいところだ。俺の役目は、紗坂のまくし立てるアイデアに頷いていくだけの簡単なお仕事。
 途中から、話を聞くのも面倒くさくなって、空を仰ぎ見ている。
 紗坂の垂れ流す妄想、妄念、妄言よりも、風の声を聞く方がよっぽど有意義だ。
 はっきりいって、ここで二人で話し合う意味が見いだせない。
 どうせ俺が紗坂のアイデアを否定したところで無意味だ。紗坂は俺が多重人格であるという秘密を知っている。よって、俺に拒否権はない。
 紗坂一人で勝手に企画をまとめて、それをメールで送信してくれた方が早い。
 わざわざ昼休みを俺のために浪費するのは、紗坂ハーレムの子らにも失礼だろう。紗坂は昼休みに取り巻きの女の子といちゃつくべきだ。間違っても俺と二人きりでいてはいけない。
 昼休みに俺と紗坂が二人きりで会っているなんてハーレムの子らに知れたら、それこそ事だ。勘違いから嫉妬に狂ったメンバーに刺されでもしたらどうするんだ?
 また、桂子さんと同じ病室に入院することになったりして。
 笑……えない。
 桂子さんとの語らいは楽しい時間だ。けれど、さすがに病院にとんぼ返りでは桂子さんに面目が立たない。
 そんな被害妄想に近いことを頭の中で転がしながら、俺は紗坂の言葉の節と節に合わせて相槌を打っていく。
 つまり声は聞いているけれど、内容は全く咀嚼していない。
 そんな頷き虫の俺に対して紗坂は訊いてくる。
「んで、今まで私が話したアイデアでお前はどれがベストだと思う?」
 はい?
 いきなりの質問形式な発話に、俺は戸惑う。
 状況としては授業を聞いていないのに、教師に回答を求められるようなもの。
「あー、それは、なんだ……三番目の提案が素晴らしいと思った。十万本の矢を集めるのに自分の陣営で拵えるのではなく、敵に矢を雨の如く射出させて、それを回収し再利用するというアイデアには恐れいった」
「……そこは素直に話を聞いてなかったって言った方が良いな。というか、普通の女子高生はその話の元ネタが諸葛孔明に由来するとわからんぞ」
 とかいうツッコミができる時点で、やっぱり紗坂は普通の女子高生ではない。いや、そんなのは今更な話だが。
「すまん。よそ事を考えていた。なので、もう一度話を聞かせてくれ」
 本当は紗坂の計略に興味はゼロ。けれど、成り行きとしては聞いておかねば紗坂が御立腹されかねん。いや、嘘にもなってない嘘で誤魔化すような奴の言えたことではないが。
「これだから男は……」
 俺に頭を下げられて、紗坂は忌々しげに言葉を口にする。
 まるで男をゴミ虫のように言ってくる。
 けれど、俺は同時に思う。
 そんな紗坂の態度は、父親である加原さんへの態度に類似している。
 というか――。
「もしかして、お前の男嫌いの原因って、加原さんが関係するのか?」
 女性にとっての最初の異性とは、自分の父親である。
 病院での様子から察するに、紗坂は最初の異性との関係がこじれにこじれている。
 故に、それが発端となって紗坂の男嫌いは始まっているのではないだろうか。とか、エセ精神分析を展開し、紗坂に問うてみた。
 しかし、返事は俺の下腹部に直接お見舞いされた。
 強烈なボディブロウ。
 やっと傷が塞がった腹部に、容赦なく断罪の鉄槌が突き刺さる。
「要らんお喋りは寿命を縮めるだけと知れ!」
 紗坂の横暴な態度に、反論の言葉が脳内で生成されるが、気道が使えて上手く発話できない。
 一触即発の紗坂は、腹を抱えてうずくまる俺を凶悪な眼光で見下してくる。
 殺される?
 どろりとした汗が俺の頬を伝う。
 けれど、天は俺を見放さなかった。
「ちょっと、扉を開けなさいよ。そこにいるのは分かってるんだからね!」
 屋上で入り口の扉を叩く音と、こちらを呼ぶ声。
 それが有象無象のものだったら、紗坂は迷うことなく無視を決めていただろう。
 しかし、紗坂にはそれができない理由があった。
 扉の向こうの声は、香奈のものだった。
「はいはーい、今開けるよ!」
 朗らかさの極みみたいな声で返事。紗坂は扉を開錠した。
 けれど、現れた香奈は憤怒に満ちた眼差し。
 その様はまるで修羅か羅刹。
 逃げなきゃ駄目だ、逃げなきゃ駄目だ!
 どこかのロボットアニメの主人公と真逆な言葉が脳内で明滅。しかし、ここは屋上で入り口は一つだけ。逃げ道なんてない。あるとすれば、フェンスを越えて転落してお空に旅立つくらいだ。
「どうしたんだ、香奈? こんなところまで私を訪ねてくるなんて。いやー、嬉しいなあ」
 香奈が目を吊り上げているのなんて考慮に入れず、紗坂は嬉しそうにまくし立てる。
 紗坂の神経の図太さは感嘆に値する。
 しかし、香奈は紗坂を華麗にスルー。ずかずかと俺へと歩み寄る。
「さあ陽向、こんなところからは一刻も早く退散よ」
 香奈が俺に手を差し伸べてくる。
 相変わらず不機嫌そうな態度だが、俺には香奈が天使に見えた。
「おいおい香奈。私はそいつと話し合いの最中だったんだ。だから、そいつを置いてってはくれないかな?」
 紗坂は苦笑交じりに抗議する。
「どうせ、ロクでもない話をしていたんでしょう? それにアナタに振り回されて陽向だって迷惑しているはずです。そうでしょう?」
 香奈の問いに俺は逡巡する。
 紗坂に振り回されるのは確かに迷惑。
 けれど、その真実を告げれば俺の秘密を握る紗坂の機嫌を損ねかねない。
 では、『迷惑ではない』と言ってみるか?
 いやいや、それも無しだ。
 その場合、今度は香奈を敵に回すことになる。
 要するに修羅場に巻き込まれた。最近、妙に修羅場に遭遇するなあ。
 ならば、第三の道を模索しなければならん。そうでなければ、俺の命が危険で大ピンチ。
「えーっと、だったら三人で、俺たちの今後を話し合っていくというのはどうでしょう?」
 良し。グッジョブ、俺。
 自分でついた提案に、俺は最大限の自画自賛。
 ところが、紗坂と香奈が俺を見る目は半眼。ありていにいって白けていた。
 そんな二人の態度に、俺は自分の意見の欠点を改めた考察する。
 ここで三人で話し合うということは即ち――。
 紗坂にしてみれば、香奈を絡め取るための作戦会議ができなくなることを意味する。
 香奈にしてみれば、先週ムリヤリ自分の唇を奪った怨敵と時間を共にすることになる。
 ……地雷を回避したようでいて、見事に地雷を踏んでいた。
 ハードラックとダンスっちまったぜ。
 いやまあ、俺の思慮が著しく足りなかっただけなんだけど。
「……わかりました。さあ、三人で話し合いましょうか」
 地雷の起爆を覚悟したが、香奈は意外にも俺の提案に乗ってくれた。
 床にぺたりと座り込む。
 ただし、香奈の顔に張り付いていたのは凄惨な笑顔。
「さあ、二人とも。こちらに来て座りなさい」
「「イエス・マイ・ロード!」」
 香奈が下した命令に、俺と紗坂は絶対遵守。
「それで、二人はわざわざ屋上まで来て何を話していたの?」
「いやー、それはですねえ……」
 俺は全力で目を泳がせる。その泳ぎっぷりは見事なものだと思う。ただし、息継ぎをするタイミングは見つからない。もはや、泳いでいるのか溺れているのか判別に困る状態だ。
 男子って、修羅場に対して本当に弱いよね。
 一方で紗坂はどっしりと構えていた。
「私たちは、この前のデートの時の謝罪の意をどうすれば香奈に伝えられるか考えていた」
 紗坂から吐き出されるのは真っ赤な嘘。
 俺たちはそんな話をしていない。にもかかわらず紗坂は、堂々と言いきってみせる。
「それは本当なの?」
 胡乱そうな眼差しを俺に向けてくる香奈。
「紗坂の言うとおりだよ」
 俺は紗坂の嘘に相乗りすることにした。それすなわち紗坂の共犯者になるということだが、背に腹は替えられない。
「ふーん。陽向が言うんなら信じるわ。でもね、紗坂さん。どんなに謝られたって、私はアナタを許す気にはなれないわ。人の唇をいきなり奪うなんて、マナー違反だと思わない?」
「思っています。今では深く反省して言います」
 紗坂は頭を下げて陳謝するが、俺は内心で『ダウト!』と叫んでいた。
 だって、こいつさっきまで香奈の唇の感触について悪げもなく力説してたんだぜ?
 けれど、そんなこと言えやしない。とりあえず、今は香奈の怒りの鎮火作業に当たらなければならん。
「そもそも、どうして紗坂さんは、女の子としか付き合おうとしないのよ。アナタほどの美人なら彼氏をつくるのは簡単でしょう? アナタの男嫌いの理由って何?」
 香奈は訊く。それは俺が先ほど訊いて、ボディブロウという刺激的な返答を頂いた問いだ。
 ところが、紗坂は香奈に対してはキレなかった。それどころか――。
「うちの父親がどうしょうもないロクデナシでね。私はそんなゴミみたいな男を見て育った。だからもう、条件反射のレベルで男と言う存在が信用ならないんだ」
 あっさり口を割りやがった。
 まさか香奈にはキレないだろうと踏んでいた。多少なりとも核心に近いものを喋るかもとも思っていた。
 ところが紗坂は答えそのものを告白した。
 それはちょいと、俺との対応に差がありすぎやしませんかね?
「そう……なの……。でもね、紗坂さん。いくら、それがトラウマになっているからといっても、全ての男性が駄目と考えては駄目よ。それってアナタの視野を狭めるだけだと思うの」
 香奈の真っ当すぎる説教に、紗坂は黙ってうなずく。紗坂が反論しないのは、香奈に対する惚れた弱みか、それとも別の企てあってのことか。
 結局、昼休み終了の予鈴がなるまで香奈のお説教は続いた。
 アグレッシブな紗坂は迷惑の極み。だが、静かな紗坂はそれはそれで不気味だった。

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