ムシクイ/第15話

~加原邸にて~


 次の日曜日。俺と香奈と紗坂の三人は、昼間から加原家を来訪することとなった。
 加原家までは、電車とタクシーを使用しての移動となった。ちなみにタクシーの座席は、後部座席に俺たち三人が座ることになった。
 誰か一人でも助手席に座れば、広々空間だったのに、主に香奈と紗坂の思惑を調停した結果、座席をせせこましく使うこととなった。
 つまり、紗坂は香奈の隣に座りたがったが、香奈はそれを拒否。香奈は紗坂が助手席に座るように言うが、今度はそれを紗坂が拒否。香奈が助手席に座るという案も出たが、背後から紗坂に襲われないとこれも香奈が拒否。
 以上のことから、後部座席に俺を真ん中に置いて三人が座ることとなった。
 奇しくも俺が美少女二人に挟まれる形の座席だが、嬉しさは湧いてこない。何せ、俺は緩衝地帯なのだ。俺を乗り越えて香奈にちょっかいをだそうとする紗坂を、たしなめる必要がある。
 面倒な役目だが、それを怠ると今度は香奈が機嫌を損ねる。
 というか、どうして俺がこんな苦労をしなければならないのだろうか。
 今回の加原家訪問は、香奈が加原さんに乗せられて企画したものだというのに。
 タクシーは、住宅街に入っていく。
 その住宅街に、一際目を引く異質な建物があった。
 一辺が二十メートルほどあろう灰色のコンクリートの立方体。まるで、前衛芸術のような佇まいの建築物。
 事前に加原さんから聞いていた、彼の外観と一致する。
 タクシーは、その立方体の前で停車。俺たちはタクシー代を支払うと、降車した。
 玄関と思しき扉の前では、すでに一人の男が俺たちを待ち受けていた。
 加原さんである。
 ジーンズにカッターシャツというラフな格好に、相変わらずの無精ひげ。顔には柔和な笑みが浮かんでいる。
「やあ、お三方。よくぞいらっしゃいました。ここがオレのアトリエだ」
 大仰に手を広げ、自身の家宅を紹介する加原さん。
「黙れ、芸術家崩れ。何がアトリエだ。こんなもの、母さんの脛をかじって買っただけの玩具箱だろう」
 嫌悪感を丸出し、紗坂は言った。
「言い得て妙な表現だ。人生に遊びは必要だよ。そういう意味では、オレのアトリエにあるものは全て玩具といえなくもない。まあいいさ。それよりも、こんなところで立ち話もなんだから、入りたまえ」
 彼に誘われるがまま、俺たちは加原邸にお邪魔する。
 邸内は外観から予想される通り、打ちっぱなしのコンクリートの灰色が支配する空間だった。茫漠と続く無彩色は、それだけで俺の心を不安にさせた。まるで、得体の知れない化け物の体内に呑み込まれたような、そんな気分にさえなってくる。
 コンクリートの打ちっぱなしということで気密性は高いが、同時にそれは風通しの悪さを意味する。エアコンは効いているが、どこか息の詰まる建物だ。
「さあ、こちらへどうぞ。四人でお茶にしよう」
 加原さんが通してくれたのは、リビングだった。
 この部屋もやはり灰色に囲まれていた。壁や床や天井はもちろんのこと、椅子やテーブルといった家具までも灰色だ。
 一般に灰色は個性の無い色などと言われるが、ここまで灰色にこだわっているなら、それはそれで立派な個性。いや、それとも執着と呼ぶべきか。
 俺たち三人はそれぞれ席に着く。そこへ加原さんが紅茶と茶菓子を運んでくる。
「け、誰がテメエの入れた茶なんて飲むかよ」
 紗坂は言う。
「紗坂さん、それはいくらなんでも失礼よ。謝りなさい」
 不遜な態度をたしなめたのは香奈だった。まるで子供をしつけする母親のような様相。
「わかったよ、香奈。飲めばいいんだろう?」
 不服そうな顔で、紗坂は紅茶を一気飲み。
 けれど、旨いとも不味いとも感想は述べない。紅茶を飲んだきり、紗坂は不機嫌そうに黙りこくる。
 さすがにこの雰囲気はマズイと判断したらしい香奈は、
「えーっと、何か楽しい話でもしましょう。というわけで陽向よろしく」
 とか言ってくる。
 無茶振りもいいところだ。
 俺には滑らない話のストックなんてない。
 呆れた調子で、俺も紅茶に口をつける。
 細かい味なんてわからないの、この紅茶が旨いのかどうかは判じかねる。
 沈黙が部屋に降りてくる。
 非常に気まずい。
 なんだか、すごく眠たい。
 本当に――眠たい。
 尋常じゃない眠気が俺を襲ってくる。
 頭がボーっとしてまともに物事が考えられなくなってくる。
 それは俺だけじゃなく、横で紗坂や香奈も虚ろそうな目をしていた。
 唯一、加原さんだけがしっかりと瞼を開けていた。
 いや――。
 それどころか、眠そうな俺たちを見て、嫌味な笑みを浮かべていた。
 まさか、この人、俺たちに何かしやがったのか?
 意識が泥濘に呑み込まれていく中で俺はそんなことを思った。

   ◆

 リビングで意識を失ったはずの俺は、また別の場所で目を覚ました。
 固いコンクリートの床に、俺は左頬をつけて横たわっていた。
 起き上がろうと、手を床に着こうとしたが、金属が擦れる音と共に、腕の可動域が制限される。
 そこまでしてようやく、自分が後ろ手に組まれた状態で拘束されていると悟った。
 足元を見てみれば、両足首に手錠が掛けられている。
 起き上がれない状態で、それでも情報を求めて俺は精一杯首を動かす。
 俺がいたのは、周囲が灰色の壁に囲まれた、気が遠くなるほどに侘しい部屋だった。八畳ほどの広さの部屋だが、一切の家具が無いため、無暗に広く感じられる。
 部屋には俺だけではなく香奈の姿。彼女もまた後ろ手に拘束され、足に手錠を掛けられていた。
 しかし、紗坂と加原さんの姿は見当たらない。
 つまり、紗坂か加原さんが俺と香奈を拘束した犯人なんだろうが、きっと加原さんなんだろうな。
 俺は気を失う直前に、網膜に焼付けた加原さんの愉悦顔を思い出す。
 紗坂の言うように、加原さんは黒だった。それも煤けた真っ黒さだ。
「おーい、香奈。生きてるか?」
 香奈に声を掛ける。ついでに、手錠で繋がった両足で香奈の足を軽く蹴った。
「ううん……え、陽向? 何やってるの?」
 ようやくお目覚めの香奈は、先ほどの俺と同じく立ち上がろうとするが、手錠に阻まれて失敗。かくして、二人して立って歩行するとうい人類である最低条件さえ満たせずにいた。
「本当に、何やってんだかねえ」
 人生の世知辛さにため息がこぼれる。
 そして、俺の行動をトレースするようにキョロキョロと周囲を見渡す。
「もしかして、私たち……監禁されてる?」
「ざっとそんなところだろうね」
 ハリウッド俳優並みに肩を竦める俺。ただし、横たわった状態では、そんな仕草も様になっていないだろう。
「ど、ど、どうしよう?」
 途端に香奈の顔が青ざめていく。唇がわななき、瞳が潤み始める。
「とりあえず落ち着けよ。いきなり取って食われたりはしないさ」
 ここでパニックを起こされても対処に困るだけ。なので、俺は努めて冷静に香奈を諭す。
 ところがである――。
「いやーーーッ!」
 どこからともなく、女性の悲鳴が聞こえてくる。
 最悪のタイミング。
 恐怖が限界値を越えたらしく香奈の瞳から涙が零れ落ちる。
「なに、この声?」
 なおも続く女性の悲鳴。しかし、声には聞き覚えがあった。
 それは紗坂のものだった。
 紗坂の悲鳴が、どこからともなく聞こえてくる。
 俺は音源を探すべく、耳をそばだてながら再度周囲を見渡した。
 すると、部屋の片隅に通風孔と思わしき口が開いていた。声がそこから聞こえてくる。ただし、通風孔の先の紗坂がどんな目にあっているかまでは計り知れない。
 けれど、女傑である紗坂が必死で声を荒げているというのは、それだけで事態の緊急性を示していた。
 これは、助けに入らないとまずそうだ。
 というわけで――。
「ちょっと向こうの様子を見てくるわ」
 まるで緊張感が欠落しているな、と自分で言っていて苦笑してしまう。
「な、何を言っているの? 私たち、ロクに身動きもとれないのよ?」
 涙でぬれた瞳をぱちくりさせる香奈。
 ごもっともな意見だが、的外れな意見でもある。
「とれぬなら、とってみせよう、身動きを」
 五七五調で言ってみせる。無駄な余裕である。でも、こういう緊迫した場面でこそユーモアは必要だ。そうでなければ、人生なんてやっていられない。
 俺は右手で左手親指を掴み、そのまま力任せに引っ張った。
 ――パキリ。
 関節が小さな悲鳴を上げる。別に骨を折ったわけではない。亜脱臼を強制的に引き起こしただけだ。
 親指さえどうにかできれば、手錠なんて意味はない。案の定、左手の輪っかはするりと手から零れ落ちる。そして、何事もなかったかのように、親指の関節を元通りにする。
 まるで、知恵の輪みたいと比喩しようと思ったがやめた。こんなゴリ押し一辺倒な解法では、知恵の輪作家の方々も片腹痛かろう。
 さすがに足に掛けられ手錠は亜脱臼程度では外せないので、そっちは諦めよう。
 俺は足に手錠をつけたまま、ぴょんぴょんと飛び跳ね、通風孔の下まで移動。
 幸いにして、通風孔は人一人なら通り抜けられる大きさ。しかも、全力でジャンプすれば届く位置にある。
「じゃあ、ちょっと待っててくれや。ただし、何かあったら、全力で助けを呼ぶこと」
 背後の香奈に言う。
「ちょ、待って、私を一人にしないで!」
 恐怖の配合率百二十パーセントな声で叫ぶが、今は紗坂の方がピンチと判断。俺は心を鬼にして、通風孔に入っていく。
 この先には、どんな地獄が待っているやら。
 ごくりと唾を飲み込みながら、紗坂の無事を祈った。

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