ムシクイ/第16話

~消えた虫~


 通風孔を抜けた先も、灰色の大きな箱の中だった。
 ただ、まったく大きさの部屋ではなかった。床から天井までの高さが違った。
 先ほど俺たちがいた部屋は、床から通風孔までは飛び跳ねれば届く距離だった。ところが、こちらの部屋は床から通風孔までの高さが三メートルほどある。
 また通風孔と反対側の面には窓がある。こちらも通風孔と同じぐらいの高さにある。飛び跳ねた程度では手は届きそうにない。
 窓から見える景色は、すでに夜。どうやら、俺たちは随分長い間眠りこけていたようだ。
 そんな不出来な監獄みたいな窓の下に紗坂はいた。
 足に力が入っていない状態で、それでも唯一の脱出口である窓を目指して壁に爪を掛けていた。
「いやだ! いやだ! 誰か助けて!」
 まるで怪物に追われる恐怖映画の主人公のように泣き叫ぶ紗坂。紗坂には手錠等の拘束具は掛けられていない。それでも彼女は不自由だった。
「あらよっと」
 俺は通風孔から床へと飛び降りる。
 極限状態の紗坂に対して、いささか気楽な掛け声だがしかたない。俺からすれば紗坂の置かれた状況は危機的状況には当たらない。
 紗坂は無数の虫にまとわりつかれていた。いや、比喩でもなんでもなく、文字通りの意味で。
 紗坂の周囲には、無数のコガネムシが飛び交っていた。現在の彼女はTシャツにジーンズ姿。彼女の来ている衣服に止まるコガネムシもいた。
 悪夢みたいな光景ではあるが、普通ここまで怯えるかは微妙なラインだ。
 ともあれ、紗坂からすれば虫は恐怖の対象。以前ライブハウスで塩町と対峙したときも、紗坂は胸についた一匹の虫で大混乱していた。
『おやおや、邪魔者が紛れ込んでしまったようだね』
 この状況をどうしようか思案していると上方から声がした。
 改めて部屋を見てみると、通風孔の横にはスピーカーと監視カメラが設置されていた。
 声はどうやら、そのスピーカーから発せられたようだ。
「これはアナタの仕業ですか、加原さん?」
 俺は声の主と思わしき人物の名前を呼んだ。
『いかにも。これはオレのアートだよ』
 スピーカーから堂々たる宣言が聞こえてくる。
「意味不明ですので、説明を求めます」
 あまりに突拍子の無い加原さんの発言に、俺は半眼になる。
『君は今の彼女を見て美を感じないのかね?』
 侮蔑交じりの加原さんの声。
「いいえ、俺にはさっぱりです」
『やれやれ、これだから凡人は……。見目麗しい少女が、虫という下等な生物に浸食され、泣き叫ぶ姿。これ以上の美がどこにあろうか! いや、ない!』
 高らかに声を張る加原さんだったが、俺にはついていけない。芸術家には感性が振り切っている人が多いらしいが、加原さんもそのタイプらしい。
『さあ、カイム。もっともっと泣き叫んでおくれ。それが君の本当の美しさだ』
 加原さんは、おそらく紗坂に言っているのだろうが『カイム』ってなんだろう? 確か、以前にも桂子さんを見舞いに来た時にも言っていたが。
 ともあれ、今はそんな疑問は枝葉末節。紗坂にたかる虫をどうにかしないと、彼女が狂い死にしてしまいそうだ。
「落ち着け紗坂。こんなもの害のない下等生物だよ」
 俺はコガネムシを一匹つまみ上げると、紗坂の目の前で潰してみせた。
『ほらね、単なる軟弱な生き物でしょ?』というメッセージを込めたパフォーマンスのつもりだった。
 ところが、紗坂は、
「ぎゃーーーーッ!」
 これまでで最高の大音量と共に失神した。
 なるほど。考えてみれば乙女の眼前で虫を潰すのは刺激が強すぎたか。
 失敗、失敗。テヘペロ☆
『今のは良い悲鳴だ。中原君、ありがとう』
 スピーカーからは恍惚の声。
「世界で一番嬉しくない感謝ですね」
『ともあれ、カイムが沈黙してしまっては面白くないね。私は今日は大満足だ。私は明日に備えてもう寝るよ。それでは中原君、良い夜を』
 そして、ブツッ、という音がスピーカーから聞こえてくる。おそらく、電源をオフにしたのだろう。
 紗坂は気を失ってもなお、虫たちは彼女の周りで蠢く。
 更に言えば虫たちは俺には寄ってこようとしない。
 紗坂には、虫でもよってくるフェロモンでも出ているのだろうか? いや、紗坂から出ているというよりは、その手のフェロモンが振りかけられていると解釈すべきか。
 俺は部屋を改めて観察。脱出できそうな手段を講じるためだ。とはいえ、脱出可能そうなのは部屋に唯一ある窓を使うのが無難。
 窓の高さには一人ではどう足掻いても届かない位置にある。届きそうで届かない脱出口。そこを目指して必死になる紗坂は、加原さんからすればさぞ見ものだっただろう。嗜虐的な人間にとって、相手が無駄な努力をする姿ほど見ていて面白いものはない。
 けれど、一人で無理でも二人でなら窓に手が届く。俺と紗坂のどちらかが、もう一方の肩に乗って手を伸ばせば届かない高さではない。
 ただし、それを実行するには一つ問題がある。
 虫にまとわりつかれた紗坂は、極端に力が入っていない。
 虫が部屋にいる状態では、二人で協力して窓まで手を伸ばすことは困難だ。
 それを見越して、俺がこの部屋に現れても加原さんは余裕を貫いていたのかもしれない。
 だが、逆を言えば、この密室から虫さえ消し去ってしまえば、俺と紗坂の勝利だ。
 ならば、得られる答えは簡単だ。
 俺は紗坂にまとわりつく虫を眺めながら、舌なめずりをしてみせた。

   ◆

「おーい、いい加減に起きろ。そして、脱出のために手を貸してくれ」
 紗坂にまとわりついていた虫を部屋から一掃した俺は、彼女の頬を軽くたたいて起床を促す。
 ちなみにどうやって虫を一掃したかは伏せておこう。人によっては、その方法を聞いただけで吐き気を催すかもしれないからな。
「……お前、どうしてここにいるんだ?」
 ようやく目を覚ました銀髪の眠り姫は、俺の顔を見て可愛らしく目をぱちくりさせる。
「隣の部屋から通風孔を使ってはせ参じたんだよ」
「な、じゃあ、私が情けなく泣き叫んでたのも聞こえていたのか?」
「はてさて、どうして紗坂は泣き叫ぶ必要があるんだよ。何かしらの恐怖体験でも?」
 俺がそこまで言うと、紗坂は思い出したように部屋を見渡す。
「む、虫は? お前が来た時に部屋には虫がいっぱいいたはずだ。それなのに、どうして今は虫がいない?」
 狐につままれた様子の紗坂。
「そんなのどうでもいいじゃないか。きっとこの部屋には最初から虫なんていなかった。それともお前は、俺が来るまで虫に怯えて絶叫していたとでも?」
 俺の言葉に、紗坂は頭を振った。
「ま、まさか! 私が虫ごときに後れをとるものかよ!」
 明らかな虚勢だったが、この状況では虚であっても勢いは大切だ。
「だったらまあ、さっさとこの部屋を脱出しよう。二人で協力して、どちらかがもう一方を踏み台にすれば窓まで手が届くさ」
 俺の提案を紗坂は要領よく飲み込む。
「んで、どっちが踏み台になる?」
「普通に考えて俺が下だろうな。足に手錠が掛けられたままの俺では、脱出しても上手く歩けない。加えて、女の子を踏み台にするのは男としてどうよって話だし」
「了解。しっかり私を支えてろよ」
 俺と紗坂は窓際まで移動。俺は一端しゃがみ、紗坂は俺の肩に乗る。紗坂が壁に手をつき安定したのを確認すると、俺は踏ん張って立ち上がる。
 こういうとき、紗坂がスカートを履いていたならば『上を見たらダメ』みたいな展開になっていたのだろう。しかし、現在の紗坂のお召し物はジーンズだ。むむう、ちょっと残念。
 などと阿呆なことを考えていると、紗坂の手が窓の縁まで届く。
 紗坂は窓を素手で叩き割る。実に豪快だ。流石は女傑。
 そして、紗坂は窓から外に脱出。
 後は助けを待つばかりだ。
 一仕事をやりとげて、俺はその場に座り込む。
 しかし、ゆっくりはしていられなかった。
『なんだ、今の音は!』
 スピーカーから大慌ての加原さんの声。
 俺は監視カメラに視線を移す。
『カイムは! カイムはどこに行った!?』
 相変わらず加原さんは紗坂に対して謎の呼び方をする。
「前から気になってたんですけど、その『カイム』ってのは何なんですか?」
 あえて加原さんの質問には返答せずに、訊いてみた。
『カイムとは銀華の魂の名前だ。そんなことより、当の本人がいないではないか!? オレの芸術作品が! 貴様、一体何をした!?』
 スピーカーから聞こえてくるのは驚愕と憤怒の声。
 けれど俺は、加原さんの詰問には答えない。否、誰が答えてやるものが。
「いつから紗坂がアンタの所有物になったんだよ。この変態野郎」
 俺は監視カメラに向けて中指を立てていた。
 スピーカーは沈黙していたが、俺は更にまくし立てる。
「芸術作品? 笑わせるなよ、下衆野郎。アンタのしていることは立派な虐待だよ。それを取ってアートだって。こいつは腹がよじれるぜ」
『き、き、貴様ごときにオレの紡ぐ美の何がわかる!』
「はっきりいってわかりたくもないね。実の娘に虫を集らせて『ハイ、これが芸術です』だって? アンタさあ、それ才能以前の問題だぜ。自分では芸術家を気取っているくせに、そのくせ人に感動を与えようとしない。そんなの独りよがりの自慰行為だ。みっともないから、そういうのは部屋に鍵かけて、人様に見られないようにやるんだな」
『許さんぞ……。許さんぞ。許さんぞ! 私を侮辱しやがって!』
 そこで一端加原さんの言葉が途切れる。
 しばらくの間、沈黙が続くが、やがて部屋の扉が開け放たれる。
 そこにいたのは、夜叉の形相の加原さん。手にはご丁寧にバールを携帯していらっしゃる。凶器としてはこってこてだ。芸術家を気取るなもっと奇抜なものを持ってこればいいのに。
「殺す。殺してやるよ! クソガキが!」
 目を血走らせたまま、加原さんはバールを俺に振り下ろしてくる。
 しかし、動きが直線的すぎる。
 俺は華麗な動きで完全に躱……せなかった。
 避けようと足を運ぼうとするが、手錠が掛けられていることをすっかり失念していた。
 俺はその場にすっ転ぶ。
 結果的には加原さんの一撃を回避できた。けれど、倒れこんだ状態ではこれ以上の攻撃は躱せない。
 ニヤリと加原さんは嗜虐的な笑みを浮かべ、バールを振り上げる。
 だが、その時だった。
 窓の外から大音量のパトカーのサイレンの音がした。
 それにたじろぐ加原さん。動きは一時停止。
 しかし、パトカーのサイレンはドップラー効果を起こさないで鳴りやむ。
 それは即ち、この付近でパトカーが停車したことに他ならない。
「日本の警察は、まだまだ優秀なようですね。こんなところでボヤボヤしていると、警官隊が踏み込んできますよ?」
 形勢逆転。俺は加原さんに宣告。
 加原さんは、苦渋の表情を浮かべ、バールを捨てて部屋から逃走。
 ほどなくして、制服警官やってきて、俺と香奈は保護される。
 保護された交番で俺たちは紗坂と合流。
 紗坂曰く、彼女は付近の民家に助けを乞い、そこから近所の交番に通報されたらしい。
 見事なまでに的確な判断。あと一歩遅ければ、俺の頭が脳天空竹割りされていた。
 けれど、残念ながら加原さんは取り逃がしてしまったらしい。妙なところで運が良いな、あの人。
 今後、復讐のためとか言って、俺たちの目の前に現れなければいいんだけれど。

次→

←前

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする