ムシクイ/第17話

~虫の行方~


 加原邸事件があった次の月曜日。俺と香奈、そして紗坂は何事もなかったかのように学校に通っていた。
 香奈からすれば見知らぬ男性に監禁された事件。紗坂からすれば、実の父親に虫プレイという極めてマニアックな嗜好に付き合わされた事件。年頃の娘さんにとって、トラウマになりそうな一件だったが、香奈と紗坂はくじけない。
 シェイクスピア先生は『弱き者よ、汝の名は女なり』なんて言葉を残しているが、的外れもいいところ。女はいつの時代もしたたかだ。
 本日の昼休み、俺と香奈、そして紗坂の三人は屋上に集っていた。人目につかないところで話し合いたいと言いだしたのは香奈だった。
 俺と香奈が屋上の入口前で待っていると、かなり遅れて紗坂がやってくる。
「悪い。子猫ちゃんたちを納得させるのに時間がかかった」
 現れた紗坂は、華麗にウィンク。子猫ちゃんたちとは、紗坂ハーレムの子らを意味する。昼休みともなれば、紗坂の下には彼女を慕う女子生徒が殺到する。その子らに不快な思いをさせないで、俺たちと合流するだけでも相当に気を使う作業だろう。
「モテる人間も大変だな」
 それともここは『リア充、爆発しろ』とでも言うべきなのかな?
「持てる者の義務だよ。言ってみればノブレス・オブリージュってやつだ」
 苦笑しながら、紗坂は持っていた鍵を鍵穴に差し込む。錆び付いた扉は、キィと軋みながら開放される。
 目に飛び込んできたのは、快晴の空色と、高所から俯瞰される町並み。
 相変わらず、屋上からの景色は壮観だ。
 こんな絶景ポイントが一般生徒には出入り禁止。勿体無い話だ。まあ、そうなった原因は陽向の自殺騒動にあるので、俺は肩身が狭いわけだが。
「いい景色だ。鳥になりたいな」
 試しに言ってみる俺。
「いや、アンタがいうと洒落にならないからね?」
 的確なツッコミを繰り出してくる香奈。なるほど、いいセンスだ。
 そんな益体もないやりとりをしながら、俺たちは床に座る。
「さて、今日は香奈からのお誘いなわけだけど、どうしたんだ?」
 紗坂は弁当箱を開きながら、香奈に訊く。
 ちなみに紗坂の弁当は、まるで愛妻弁当の様相だった。白米の部分で鮭フレークでハートマークが作られている。多分だが、ハーレムメンバーの誰かが紗坂のためにつくったのだろう。
 香奈は立ち上がる。
「私は、アンタたちに謝らなきゃいけないことがある。だから――ごめんなさい!」
 頭を深々と垂れる香奈。紗坂は一瞬面食らった顔をするが、すぐに事情を察し、首を横に振る。
「うちのクソ親父のことなら、香奈が気にするべきことではないよ。むしろ、香奈だって被害者なわけだし」
「で、でも、そもそも私があの男の家に行こうと紗坂さんを誘わなければ、あんな事件は起こらなかった。私の軽率さが招いた事件だった」
 言いながら香奈の言葉は勢いを失っていく。まるで、言葉を重ねるごとに悔恨の念が彼女を責めて立てているかのように。
 香奈の態度に、紗坂はしばし黙考し、
「ならば、香奈が私と一晩を共にするなら許すとしよう。というわけで、私に香奈の全部を委ねてみない?」
 完全に、ノリがオッサンの下ネタである。
 これに香奈はみるみるうちに真っ赤になっていく。
「い、いや、それはちょっと。だって私はノーマルだし。うーあーッ!」
 最終的に脳の処理限界を超えたらしく、規制まで上げ始める始末。
 そんな香奈を、紗坂は楽しそうに眺めていた。
「落ち着けよ、香奈。もちろん冗談だ。私は相手の弱みに漬け込んでベッドに連れ込む趣味は無い」
「うー」
 自身は真摯に謝罪しているのに、当の相手にからかわれ不服そうに頬を膨らませる香奈。
「むむう、怒った顔も可愛いな。癖になりそうだ」
「……本当に私を許すんです?」
「女には男と違って二言はない。ていうかさ、あんなダメ人間の話をするより、私は早く飯にしたいな」
 堂々と宣言する様は、男より男らしい。俺も紗坂を見習いたいものだ。
 そして始まる昼食会。
 その団欒の内容はたわいもないもの。好きな音楽の話だったり、嫌いな教師の話だったりと、実に高校生らしいものだった。
 けれど、俺は十分に気を使っていた。あえて加原邸で起きた出来事の話をしないように。香奈と紗坂も同じ思いだったのかもしれない。
 三人が食事を終えて、あらかた話題も出し尽くしたところで、
「じゃあ、教室に戻りましょうか」
 香奈は弁当箱を包にくるんで、立ち上がる。俺も香奈にならうが、
「先に香奈だけで教室に戻ってくれないかな。私はちょっと、そいつと話すことがある」
 俺を指差してくる。
「二人して、また何か悪巧み?」
 香奈のうろんそうな眼差しが俺たちに向けられる。
「まあ、そんなところだよ。次こそは、香奈を私にメロメロにするデートプランを組み立ててみせるぜ、グヘヘヘ」
 わざとらしく卑下た態度をとってみせる紗坂。
「……わかりました。でも、今度は陽向を危険な目に合わせるような計画はダメですよ」
 加原さんの一件もあるためか、完全に拒否しきれず、香奈は俺と紗坂が二人きりになるのを暗に承諾。
 荷物を持って屋上をあとにする。
 香奈がいなくなったのを見届けると、紗坂は緩んだ顔を途端に引き締める。
 そして、俺に言うのだ。
「さて、これから先は真面目な話だ。私が監禁されていた部屋から、お前は一体どうやって無数の虫を消してみせたんだ?」
 縫い付けるような紗坂の問いかけ。
「あーうー」
 俺は先ほどの香奈のごとく唸ってみる。
「男がそれをやっても、毛ほども可愛くない。ちゃんと答えろ」
 おっしゃる通り。俺には萌え要素などありませんからなあ。
「あの部屋に虫なんていなかった――そういう方向で話はまとまったハズでは? 紗坂だって納得していたと俺は認識しているわけだが」
「あのときは、虫よりも部屋の脱出が先決だったから、あえて追求しなかっただけだ。それに、警察に押収されたあの部屋の録画記録には、確かに虫に集られた私の姿が映っていた」
「だったら、その映像から俺がどうやって虫を部屋から消したかわかるのでは?」
「私が見たのは映像の一部分だけだよ。それに私の推測が正しければ、お前が虫を部屋から消す姿は映像では見ない方がいいと判断する」
「ということは、推測でなら俺が虫を消した方法に心当たりがあると?」
 俺の質問に、紗坂は無言で首肯する。
「ならば取引だ。俺が虫消失トリックについて答える代わりに、お前は俺の質問に答えろ」
「今日のパンツの色でも答えればいいのか?」
「そんな情報はいらん。俺が知りたいのは二つ。どうしてお前は、あそこまで虫に恐怖感を抱くのか。そして、加原さんの言っていた『カイム』とはなんだ?」
 この二つは、ずっと気になっていた事柄だ。
 紗坂ほどの女傑が虫ごときを怖がるなんて、いささか少女趣味すぎる。そこら辺を可愛らしいと取ることもできるが、しかし俺としてはそれだけでは釈然としない。
 加えて『カイム』の謎も氷解していない。加原さんは得意げに紗坂を『カイム』と呼び、紗坂はそれに嫌悪感を抱いている。
 別に知らなくても、俺の人生には支障はない。けれど、解けない謎を放置できないのは考える葦たる人間の宿命だ。
「私はお前に一つしか質問していないのに、お前は二つ質問するのか? それは不公平だ。どちからか一方にしろよ」
 不機嫌そうな紗坂は言ってくる。俺としては二つとも答えて欲しかったが、欲張りすぎて、二兎追うものは一兎も得ずになるのは避けたいところ。
「わかった。だったら虫嫌いの理由を話してくれ。その代わり、話すのはお前からだ。俺が答えてから『やっぱやめた』とか言われたらこっちのジリ貧だからな」
「こっちが話してから、お前に拒否られたら話し損だっていうのは、私も同じなんだが?」
「お前の場合、俺が拒否ったら拳で聞き出すって手段があるだろう。俺はお前に対してそれはできないぜ?」
 女を殴るのがどうこう以前の問題として、直接戦闘では俺は紗坂に一度負けているかなら。
「わかった。その代わり、ちゃんとお前も話せよ。話さなかったら泣くまで殴るのをやめない。っていうか泣いても殴るのをやめない」
 紗坂の言い分をより簡潔にまとめると『俺が死ぬまで殴るのをやめない』ということだろう。
 やれやれだぜ。
 我ながら恐ろしい取引をしてしまったものだと辟易していると、紗坂は語り始める。
「あの男はな、私が幼かった頃から、芸術活動と称して虫を使って私を嬲っていたんだよ。泣き叫ぶ私に虫のフェロモンを振りかけて、私に虫を集らせた。気持ち悪いったらなかったぜ。コガネムシだったり、蛾だったり、蜘蛛だったりと、あいつは虫に侵される私を見て恍惚としていたよ。時には毒虫まで使ってきて、そんなときは私はそこらじゅうを刺されて痛みに転がりまわったもんさ」
「……ディープすぎる趣味だな。というか、それって芸術?」
 聞いていて頭がクラクラしてきた。狂気と天才は紙一重というが、加原さんはまごうことなき狂気の側の人間だ。
「芸術なもんかよ! あれはれっきとした虐待だ。母さんがあの男と離婚した理由には、金遣いとかだらしない女関係ってのも確かにある。けどな、本質的な理由は私をあの変態から守るためだ。あんな男と一緒にいたら、いつか私が壊されてしまう。だから、母さんはあんな男と縁を切ったんだ」
「聡明な判断だ。虐待は良くない。子供は健全な環境で育てられるのが一番だ」
 俺は無難な意見を言うに留めておいた。
 けれど、紗坂の恨み言は止まらない。
「だから私は、今でも虫へのトラウマを払拭できない。あんなちっぽけでゴミみたいな生き物に私が遅れをとるんだぞ? 許せないよ。私をこんな風にしたあの変態が憎い! あの変態と同族の男も憎い!」
 紗坂の虫嫌いと男嫌いは、根っこの部分では繋がっていたのか。
 全ては実の父からの虐待によって生まれた認知の歪み。過度の一般化。
 本当に、虐待は子供にいらないものばかりを背負わせる。
「わかったよ、紗坂。とりあえず落ち着け」
 目をぎらつかせながら、ブツブツと呪詛らしきものを紡ぎ続ける紗坂を俺は静止させる。
「そうだな。あの変態のことを考えるなど時間の空費だな。では、今度こそそっちの番だ。お前はどうやってあの部屋から虫を消してみせた?」
 紗坂は改めて質問を繰り出す。
 俺があの部屋から虫を消した方法――。
 それは『俺』という交代人格の根幹をなす秘密だったりする。
 だから、トリックとしては単純でもやはりいうのははばかられる。
「ちなみに、紗坂の推測では俺はどうやって虫を消したと思っている?」
 質問に質問で返すのは失礼なのは承知。けれど、覚悟を決めるにはもう少しだけ時間が必要なので時間稼ぎ代わりに訊いてみた。
 ところが、時間稼ぎとしては悪手以外の何物でもなかった。
 なぜなら、紗坂の回答は見事なまでに的を射ていたからだ。
「虫がいきなり姿を消すわけがない。となると、お前はどこかに虫を隠したと考えるのが妥当。しかし、あの部屋には虫を隠せそうな場所はなかった。そう、お前の胃袋を除いては」

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