ムシクイ/第20話

~逃走~


 病院前では紗坂が記者たちの取材に応じていた。
 記者たちの質問攻め、たかれるカメラのフラッシュ。
 大好きだった母親が死んで気が滅入っているであろう紗坂の事情を、記者たちは考慮しない。
 ただ、報道の自由というお題目の元、紗坂の心を蹂躙する。
 相手の事情に配慮できない報道なんてクソ喰らえだ。
 ぞろぞろと紗坂に群がる記者たちを見て、俺は思った。
 まるで虫みたいだな、と。
 見目麗しく、しかも銀髪にピアスというド派手な格好の紗坂は、さぞテレビ映えするだろう。
 マスコミは常に話題に飢えている。
 悪食たちは毅然と振舞う紗坂に質問を投げかける。
 桂子さんの闘病生活についてを聞き出そうとし、
 母と子のふれあいのエピソードを引き出そうとし、
 あるいは、母親が死んで悲しくないかと分かりきったことを聞く。
 悲壮にくれながら、それでも真っ直ぐに立つ紗坂を動揺させたいみたいなインタビュー。
 いや、みたいなではなく、実際に動揺させたいのだろう。
 テレビは映像があってなんぼのメディアなのだ。
 ここで母をなくした少女の涙でも撮れればテレビ的には大成功だ。
 だから、記者たちはネガティブな質問ばかりを投げかける。俺にはそうとしか思えない。それは単なる人間不信で、被害妄想なのかもしれないが、少なくとも俺にはそうとしか思えないのだ。
 記者たちに答えながら、紗坂の目がやがてうつろになっていくのに俺は気づく。
 やがて紗坂は一瞬だけよろめく。
 溜まっていた疲労が、オーバーフローしたかのように。
 その瞬間、俺は地を蹴って報道陣に向かって走っていた。
「どけ!」
 俺は叫んだ。これがカメラを通じてお茶の間に放映されていることなんて百も承知。
 俺の姿に紗坂は目を点にしていたが知ったことか。
 むしろ、ざまあみろと言ってやりたい。今まで俺を散々振り回しやがって。紗坂はちょっと俺にも振り回されるべきだ。
 そんな無茶苦茶な理屈を脳内で紡ぎあげて、俺は紗坂の手を取った。
「ちょ、お前! いきなり何なんだ!」
 戸惑う紗坂の顔が可愛らしくて、俺はちょっと笑ってしまった。
「逃げるんだよォ!」
 どこぞの波紋使いよろしく、俺は言ってやった。
 紗坂は呆気にとられるが、それでも駆け出した俺に合わせてくれた。
 妙なところで呼吸はぴったり。
 俺たちは病院内に入り、そのまま迷路みたいな構造の院内を全力疾走。
 途中まで取材陣も追いかけてきていたが、入り組んだ院内の構造をフル活用して巻いてやった。
 そして、俺たちがたどり着いたのは病院の屋上。
 二人して膝に手をついて息を切らせている。
 俺の脳内では興奮物質がドバドバ放出されているらしく、妙にテンションが上がっていた。
 今なら世界を取れる気がするぜ。……一体何で世界と競うつもりなのかは俺本人も預かり知らないことだけど。
「お前、無茶苦茶すぎるだろ! 記者たちの取材はどうするつもりだよ!」
 紗坂が奮然と抗議の声を上げるが気迫が足りない。やはり疲れているようだ。
 俺は、紗坂の消耗具合につけ込んで反論する。
「だったら、記者たちのところに戻ってもいいんだぜ?」
 俺の指摘に、紗坂は答えられない。
 渋い顔をして、立ち尽くすのみだった。
「あんな厚顔無恥な連中に、わざわざ合わせてやる必要はない。というか、普段の銀華様はどこにいったんだよ? お前なら、あの程度の有象無象ども眼光一つで一蹴できただろうに」
「……お前は一体、私のことを何だと思ってるんだ?」
 紗坂は口元を引きつらせながら聞いてくる。
「しいていうなら、肉食系女子。もっというなら弱肉強食系女子」
 俺のスマートな返答に対して、紗坂の蹴りが横っ腹に飛んできた。
 蹴りの痛みで悶絶する俺。
 ちなみに、蹴りの風圧によって紗坂のスカートがめくれた。紗坂のハッピーマテリアルが白であったことをここに報告しよう。
 紗坂は嗜虐的な瞳。これを暴力と取るかご褒美と取るかは個人の趣味嗜好でわかれるところだ。
 ちなみに、俺にとって紗坂のフルコンタクトは拷問です。本当にありがとうございました。
「そもそもさ、大変なのはこれからだよ。母さんの葬儀も出さなきゃいけないし、相続のことも考えなきゃいけない。母さんの仕事先だった出版社の人と話し合うことだってあるだろう。ぶっちゃけ、あの程度の記者ごときでバテてたら、これから先のこともままならない」
 紗坂は床に座りながら言う。
「それはそうかもしれないけど、少しぐらい悲しむ時間は必要だろ」
 俺も紗坂に合わせて床に座る。
「……私が母さんの死を悲しんでいないとでも?」
 ギロリと、妖刀のような眼差しで紗坂は俺を睨んでくる。
 不用意なことを言おうものなら一刀両断されるな。俺は唾を飲み込むが、それでも意を決する。
「俺には、お前が桂子さんの死を悼むことを、我慢しているように見えたね。無理に自分の感情を押さえつけて強がっている。そんな印象だ」
「……それの何が悪い?」
 紗坂のまとう雰囲気は、抜刀寸前の剣呑さ。
「俺にはさ、親との離別の悲しみなんてわからない。虐げる側と虐げられる側って関係だったからな。でも、お前と桂子さんは違う。きちんとした絆があった。そんな相手がいなくなれば悲しい。悲しければ泣けばいい」
「お前の意見は正しいが、同時に間違いだ。私はまだ母さんのために泣くわけにはいかない」
「どうして?」
「絆が切れたら悲しい。それは正解だ。だから私は泣かないよ。だって、私と母さんの絆は切れていないんだから。例え母さんが死んでしまっても、私は母さんを思い続ける。絆ってのはそういうものだ」
「そういうもの……なのか?」
 俺には紗坂の理屈を解せない。
 死んでしまっても、絆を思える相手が俺にいるかと言われれば正直怪しい。
 唯一、香奈が腐れ縁でつながった絆とも言えなくはない。けれど、香奈にとっては俺なんて数ある知人の一人だろうから双方的な絆とは言い難い。
 困惑する俺。紗坂は、畳み掛けるように理論を重ねる。
「……それに、泣いてしまったら全てがそこで終わってしまう気がするんだ。涙と一緒に大切な思いまで流れ去ってしまう気がして、私は怖いんだ」
 紗坂は、胎児のように身体を丸めていた。
 俺には、やっぱり紗坂の理屈が飲み込めない。
「流れ去ったら、ダメなのかな? 桂子さんなら、お前に悲しい思いなんて溜め込んでほしくないと思うぜ。笑いたいなら笑えばいいし、泣きたいなら泣けばいい。あの人なら、そんな風に言うと思うんだ」
「お前に母さんのなにが分かる。知ったような口を叩くな」
 言葉とは裏腹に、紗坂の態度は弱々しい。
 うずくまっていた彼女は顔上げて、言葉を続ける。
「母さんなら……きっと、私の涙は望まない。娘の涙を願う母親なんているものかよ」
 一途で剛直な不退転。けれど、それは思考停止に他ならない。
 だから、俺は言う。
「仮に桂子さんが、お前の涙を望んでいなかったとしたら……だったら、俺が望んでやるよ」
「は?」
 俺の唐突な申し出に紗坂は、虚をつかれたようだった。
「誰かの許可がなければなけないようなら、俺が許可をしてやる。そして、許可を出すからには責任も取ってやる。この先、桂子さんのために泣いたことを後悔したならば、真っ先に俺を責めればいい。お前のせいで自分は悔恨の念に苛まれているんだ、ってな」
 理屈として破綻している理屈に紗坂は、笑った。
「お前、無茶苦茶だな。本当に、無茶苦茶だ」
 笑いながら、紗坂の瞳から涙がこぼれ出す。
 やがて、紗坂の顔から笑みが消えて、涙は滂沱の滝となる。
 紗坂の心が決壊したかのように。
 それまで溜め込んでいた悲しみが涙という形で溢れ出していく。
 喘ぎながら、紗坂は全力で母親を悼んでいた。
 ひとしきり泣きじゃくると、紗坂は腕で強引に涙の残滓を拭った。
「私も随分と落ちぶれたもんだな。お前ごときに弱みを見せるなんて」
「おいおい、お前の中での俺は、どれだけ下等生物なんだよ?」
 俺はため息混じりに苦笑せざるを得ない。
「安心しろ。いくら下等といっても男の中では上等な方だと私は認識しているよ。お前、私の隣に座れよ」
 ポンポンと、紗坂は彼女の右隣の床を叩く。
 銀華様の言うことは絶対なので、俺はそれに従う。
 俺が紗坂の隣に移動すると、紗坂はいきいなり俺の肩にもたれかかってくる。
 ふわり、と柔らかい感触が伝わってくる。
「私は疲れた。だから寝る。私に手を出そうとする不埒な輩がいたら、全力で叩き潰すことを私が許可する」
 ……お前、何様だよ?
 というツッコミを俺は紗坂に入れられない。
 紗坂はすでに眠りこけていて、その寝顔は凪のように穏やかなものだった。

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