ムシクイ/第21話

~紗坂家にて~


 桂子さんの葬儀は、つつがなく行われた。
 作家として有名というだけあって、報道陣も駆けつけてくる葬儀となった。紗坂は臆することなく立派に喪主を務め上げた。
 俺もなりゆきで葬儀の受付係を手伝わせてもらった。そこで見たのは、周りの大人たちに的確に指示を出す紗坂の背中。
 あいつは下手な男より男らしい。なるほど、学校の女子が紗坂に惚れてしまうわけだ。
 容姿は美少女、中身はイケメン。これで女子からモテなかったら、そちらの方が不思議だ。
 紗坂はただ、前へ前へと進もうとしている。
 自分で未来を切り開こうという意志が、銀色の輝きを放っている。
 いやはや、俺も見習いたいものだし、日向には紗坂の爪の垢を煎じて飲ませたいものである。
 葬儀を終えた翌日、俺は紗坂に呼び出しを食らった。
 曰く、自分の家の片付けをしたいから手伝いに来い、と。
 つまりは無償で働く使いっぱしりになれということなのだろう。
 労働基本法を掲げて反対運動を起こしても良かったが、こっちは紗坂に秘密を握られている身。文句など言えようはずがない。
 今の俺はきっと、プロレタリアート文学の名著『蟹工船』に登場する労働者に似ている。
 ……本気で救われない。
 俺は社畜根性丸出しで、紗坂の家に向かった。住所は呼び出しメールに添付された地図を参照した。
 紗坂の住まいは、どこにでもあるようなマンションの四階。
 桂子さんは売れっ子作家。俺は、もっとすごい家を想像していたが、案外慎ましいものだった。
 紗坂の部屋のチャイムを鳴らす。
 すると紗坂が出向かてくれる。
 紗坂の格好はジーンズにTシャツで、極めてラフではある。しかし、紗坂は大元がいいのでシンプルな衣装の方が色っぽく感じられる。
「いらっしゃい。中に入りな」
 葬式の疲労で、憔悴しているかと思ったが全然そんなことはなく、紗坂は平然としていた。
 失礼して部屋に上がる。
 わざわざ片付けの手伝いを要求されるからには、室内は混沌としているものだと俺は思っていた。しかし、実際はそんなことなく、きちんと整理が行き届いていた。
 通されたリビングにはガラス天板のテーブルと、会社の応接室においてありそうな高級そうなソファがあった。
 窓からは、外の景色を俯瞰できた。毎日人を見下ろすような住まいで暮らしていたら、自然、人の上に立つような性格が形成されても不思議ではない。下手をすれば『見ろ、人がゴミのようだ』とかほざく人格が形成されかねんな。
「んで、俺はこの部屋の何を片付ければいいんだ?」
 不信に思った俺は聞いてみる。
「片付けて欲しいのは、この部屋じゃなくて母さんが書斎に使ってた部屋だよ。蔵書が多すぎて一人ではまとめきれないんだ」
「ふーん。でも、どうして俺を呼んだんだよ。ハーレムの子を何人か呼べばいいだけじゃないか」
「阿呆か、お前。本の整理は案外力仕事なんだぞ。そんな肉体労働にハーレムの可愛らしい子猫ちゃんたちを巻き込めるかよ」
「はあ、そりゃ、なんとも男前な心意気で」
「……それに、お前だったら、私の家に入れてもいいかなって思っただけだ。男と家で二人きりなんて虫唾が走るが、お前なら、まあ、人畜無害そうだからな」
「さようですか」
 逆に言えば、俺は紗坂から男として見られていないわけですか。
 男子力って、ドラッグストアあたりで市販されてないものかね。
「んじゃ早速、書斎に案内してくれ」
「おいおい、そんなに急くなよ。一応お前はお客様だ。まずはコーヒーでも飲んでいけよ」
「それは整理が終わってからにしよう。一度、座ると再び立ち上がるのが面倒だ」
「なるほど、一理あるな。じゃあ、書斎に案内するよ。キリキリ働くがいい」
 不敵な笑みを貼り付けて、紗坂は俺の肩を叩く。
 お世辞にも女子力の高い笑顔ではないのに、紗坂の場合はそれすらも魅力的だから始末に悪い。
 廊下に出た紗坂の背中に、俺はついていく。
 書斎に入る。
 八畳ほどの広さの部屋で、扉の正面にはパソコンデスクが置かれている。パソコンデスクの背後には窓。
 作家の書斎というだけあって、蔵書量は大したものだった。扉と窓の前以外には、部屋を囲うように本棚が置かれていた。
 本の種類は、一昔前のベストセラー作品から、古書店に売却すれば結構な値段のつきそうな文学全集まで多種多様。作家たるもの、読書については雑食であらねばならぬという意気込みを感じさせられる。
 主を失った空間には寂寥感が満ちていた。
 長い間、部屋に立ち入ったものはいないらしく、空気は埃っぽかった。
 一瞬だけ、紗坂は呆然と立ち尽くす。この部屋に入ると桂子さんのことを思い出してしまうのかもしれない。
 しかし、紗坂の時間はすぐに動き出す。
「ちょっと窓を開けるぞ。換気しないと息が詰まる」
 そう言うと、彼女は窓を解き放つ。
 重苦しい空気が、新鮮なものへと循環されるのを肌で感じた。
 ところが、新しい空気と一緒に余計なものまで窓から侵入する。
 一匹の蛾だった。
 茶色の翅をばたつかせ、無目的に部屋を飛び回る。
「いやーッ!」
 紗坂は絶叫する。その音量たるや近所迷惑になろうレベル。
 なにもそこまで怯えなくてもいいだろうと思うが、紗坂は虫恐怖症。もはや本能に近い部分で反応してしまっている。
 飛び回る蛾に、紗坂は腰を抜かしながらも、部屋から逃亡することで対処。
 人がいたら圧死していたであろう勢いで、紗坂は書斎の扉を閉める。
 部屋には俺と蛾が取り残された。
 しまった。無様な銀華のお姿をケータイのムービー機能で録画しておけば、脅しの材料にできたのに。
 ……いや、やめておこう。人の弱みに漬け込むのはよくない。そもそも、そんなことをしたら手痛い反逆を受けかねん。
 考えるまでもなく、この蛾には俺が対処しなけばならんな。そうでないと話が進まない。
 俺は、蛾の軌道を読み、その翅を右手で掴み上げる。
 蛾はじたばたと震える。
 いっそ食べてしまおうかとも思ったが、一寸の虫にも五分の魂という先人のお言葉に沿って温情判決。
 俺は蛾を窓の外から放り出す。
 蛾の姿はみるみるうちに小さくなって、どこかへ消えてしまった。
 ミッションコンプリート。
 ちなみに戻ってきたら、同じ作業を繰り返すのは面倒だからきっと食べていた。
 一寸の虫にも五分の魂があるという理屈は、捻くれた解釈をすれば、精々五分しか魂がないということだ。瑣末なことにこだわるのは俺の主義ではない。
 扉をあけると、廊下の隅で頭を抱えてうずくまる紗坂の姿。
 ぶつぶつと何かを唱えている。
「虫は外に逃がしたぞ。戻ってこい」
 唱えているものが必殺呪文とかで、亜空間からメテオとかドラゴンを召喚されるとイヤなので俺は紗坂に声をかける。いやまあ、そもそも、この世界に魔法を使える存在がいるなんて聞いたこともないが。
「……ほ、ほう。それはご苦労だったな」
 報告を受けた紗坂は、頭を振って立ち上がる。
「サー・イエス・マム。にしても、虫嫌いはそう簡単には治らないかね」
 俺は皮肉を込めてため息を一つ。
「あたりまえだ。どうしてあんな気色悪い生物を好かなきゃならない。そっちの方が異常だ」
「確かに、あまり美味しい代物ではないな。なんというか、もう少しモチモチしている方が俺としては好みだ」
「……気持ち悪い話はやめてくれ。虫なんて食えるお前も大概に化物だ」
「うわお、俺のアイデンティティ全否定かよ」
「そんなアイデンティティ、第二宇宙速度で大気圏の彼方に投げ捨てろ」
 紗坂は、それこそゴミ虫でも見るような目で俺を睥睨。
「でも紗坂、今のお前が抱いている感情は、言ってみれば『虫唾が走る』というやつだ。同時にお前は虫の居所が非常に悪い。お前はイライラするたびに、自分の中に虫を生んでいるわけだよ?」
 とかなんとか、俺はレトリックを尽くしてみた。
 そうしたら、まあなんということでしょう。紗坂から俺へとボディブロウのプレゼント。
「あべし!」
「口は災いの元だ。私の中には虫なんていない。いてたまるか。カイムなんて名前はあのゴミの戯言だ」
 あのゴミ――加原さんのことか。
「……そのカイムって結局何なんだよ?」
 聞いてから俺は後悔した。また、紗坂からお叱りを受けるのがオチだ。
 案の定、紗坂は憮然としていた。
「これから話すことを、お前は秘密にできるか?」
 厳粛な声で問うてくる。
 多分、その言葉の裏には『口外することは死で償ってもらう』という旨があるのだろう。
 けれど俺は、
「約束しよう」
 好奇心に負けた。
 俺、真実を知らないまま死んでいく方が耐えられないよ!
 ――とかなんとか、どっかのマンガにでもありそうな台詞を内心で吐いてごまかしておこう。

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