空井係/第3話


「あれ、俺の教科書知らない?」
 三限目の数学の前の休み時間に空井は首を傾げて、周りのクラスメイトに尋ねた。
 しかし、返ってきたのは、
「さあ、知らねえな。家に忘れたんじゃねえの?」
 あたふたする空井をニヤニヤしながら周りの連中は眺めている。
 空井の教科書が行方知れずなのも無理はない。だって、わたしが持っているのだから。
 昨日の空井から言葉を受けて、わたしに迷いはなかった。空井が教室からいなくなったスキを狙って彼の机の中から教科書を奪ったのだ。
 ちなみに、クラスメイトは大いに賑わった。
 きっと、わたしが手を汚すのを心待ちにしていたのだろう。わたしよりずっと卑怯な連中だ。
 人間なんて醜い。日頃、仲良さそうに振舞っていても、心の奥底では相手の不幸を願っているに違いない。
 ちょっとでも気を許したら、きっとどこかで足元をすくわれるに違いない。
 空井の教科書を奪ったときに、ふいに砂先京子の顔が脳裏によぎった。
 わたしが死なせたかもしれない少女。
 わたしが未来を奪ったかもしれない少女。
 けれど、彼女の死については、全てが『わたしのせいかもしれない』のであって、確定ではない。
 はっきりしていない曖昧な状態が余計にわたしを苛み続ける。
 わたしのせいだったのか、わたしのせいではなかったのか、どっちつかずな砂先京子の死。それは、わたしを解放するでもなく、罪の縛鎖で捕えるわけでもなく生殺しにする。
 これは彼女の呪いなのか?
 わたしの葛藤も。
 空井係も。
 人間がどうしょうもなく怖い。
 もう、この世界から逃げたい。
 でも、死ぬのはイヤだ。
 だったら、もう腹を括って闘うしかない。
 どうせ、人間なんて鬼か悪魔みたいなものなんだ。
 鬼や悪魔に情けは無用。
 やるからには徹底的にやらなければ、食い潰されるのはこっちだ。
 ねえ、空井。
 謝る必要なんてないよね。
 さあ、闘いましょう。
 どちらかが潰れるまで。
 教室は賑やかなのに、荒涼としていた。
 わたしは空気を読んで、笑ったり、真面目になってみたり、不機嫌になってみたり、自分のキャラを演じる。でも、そこにわたしなんていない。
 笑顔に満ちた教室。
 場を支配する空気はさながら魔物。わたしたちは魔物の腹の中で、ダラダラと理性を溶かされていくしかないのだ。
 爛れた理性でできるのは低次元な保身。
 イジメは保身。
 教科書隠しで足りなくなったら何をしようか。
 クラスで集団無視なんてどうだろう。
 普段からクラスで浮いている空井でも全く誰にも相手にされないのはこたえるに決まっている。
 傷つかなかったら、空井はすでに人間ではなく、化け物だ。
 そうだ、もっと相手の立場になって考えよう。相手の気持ちを考えるなんて、教師の下らない説教みたいで笑ってしまう。でも、人助けに大事なことと、嫌がらせで大事なことが一緒だなんて皮肉だよね。
 ああ、楽しい。
 砂先京子を痛ぶっていたときの感覚が蘇る。
 おっと、いけない。
 調子に乗りすぎて砂先京子の件がバレないように気をつけねば。
 まあ、あんなハナシは、わたしが言わなければ明るみにでないんだから大丈夫だよね。
 油断さえしなければ、わたしの勝ちだよ、砂先京子。

   ◆

 結局わたしはその後一週間、空井イジメに明け暮れていた。
 初日だけはみんな様子見で非協力的だったけど、次の日からはわたしに協力してくれる人が現れた。
 三日目からはクラスの全員が味方になってくれた。味方ってつまりは共犯者とも言うのだけど。
 大々的に空井をシカトなんてやってのけるほどクラスは団結した。
 集団無視は一致団結の究極形。場の空気が成せる業。
 我ながらいい仕事をしたもんだ。
 みんながこんなに早く団結したのは、他ならぬ空井のおかげ。
 だって、『俺をイジメろ』なんて提案したのは空井本人。
 人は自分では責任を負いたくない自分勝手な存在。
 人は自分からは一歩踏み出せない臆病な動物。
 だったら、責任を取る者と、一歩踏み出す者がそろったら?
 今回は責任を負うのは提案者の空井で、一歩踏み出したのは空井係のわたし。
 二つ揃えば、誰か一人くらいは賛同してくれる。
 一人の賛同者がいれば、また一人、また一人と増えてゆく。そして、人々は『だってみんなやってるし』という免罪符を掲げる猛獣となる。
 ちなみにうちのクラスの級訓は『みんなでつくろう明るいクラス』だったりする。
 空井イジメを通じて級訓が達成されるかもね。

次へ→

←前へ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする