空井係/第0話


 俺、空井楽人には中学時代に付き合っている人がいた。
 近所に住む幼馴染で、幼稚園と小学校は一緒だったが、中学は俺が私立に行ってしまったので別の学校に通っていた。
 名前は砂先京子。
 けれど、京子はもうこの世にいない。
 クラスメイトからの度重なるイジメを苦に自殺してしまったからだ。
 京子は自殺する前に、俺に電話をしていた。京子は俺の家の電話を掛けてくれたのだが、そのとき俺は家にはいなかった。
 当時は俺はケータイなんて持っていなかった。親が『中学生に携帯電話などいらん』とか時代遅れな価値観を持っていたからだ。
 だから、京子は留守番電話に最期の言葉だけ残して、自宅マンションから身を投げた。
 最後の電話が掛かってきたときに家にさえいたら……。
 もっと、京子の力になれていたなら……。
 せめて、京子の生きる支えになれていたなら……。
 全ては後悔。過去は変わらず、もう、京子は戻らない。
 俺の世界から光は消えた。
 けれど、たった一つだけ生きる目的ができた。
 京子を殺したミナガワを許さない。
 同じ苦しみを与えてやる。
 警察に京子の最後の言葉を、……イジメによる自殺である事実は告げなかった。
 警察なんて役に立たない。
 京子のクラスメイトのミナガワは未成年。しかも直接殺害したわけでもないのだ。法的な裁きなんて生ぬるくなるに決まっている。
 この世の地獄を丁寧に丹念に味あわせてやる。
 そして、神か悪魔が俺にチャンスをくれた。
 俺の通っていた中学は進学校だったが、俺は高校受験に見事に失敗。滑り止めで受けた現在の高校に通う羽目になり、低能な連中ばかりの今のクラスになった。
 そこに京子と同じ中学出身の皆川基子がいた。
 ミナガワ。
 京子の仇。
 俺の敵。
 しばらくは、彼女の動向を観察していたが大人しいものだった。
 クラスでイジメがあっても、直接参加せずに傍観者に徹している姿勢が逆に気に食わない。
 自分は無関係とでも言わんばかりに、クラスの連中と付かず離れずの距離を保つ器用さがあった。
 いや、皆川だけでなくクラス中の大半が見て見ぬフリ。
 うちのクラスの級訓は『みんなでつくろう明るいクラス』だったが、ちゃんと漢字変換すれば『みんなで繕う明るいクラス』だろう。
 イジメを受けている坂本という女子が何をしたというのだろう。
 ただ、大人しくて自己主張が下手なだけではないか。それだけでクラスの連中から迫害される。
 イジメの様子を見ながら、ふと思った。
 ――あのとき、きっと京子も同じような目にあっていたのだろう。
 クラスの連中の愚考を止めたくなった。
 京子を助けられなかった代償行為に過ぎない、無意味な計画。
 きっと愚かな自慰行為。
 あるのは正義感ではなく自己憐憫。
 俺が一番低能だ。
 だが、同時に閃いた。
 イジメられるのが坂本から皆川にシフトしたら?
 そして、皆川をイジメによって自殺に追い込めたら?
 そうやって練っていったのが『空井係』という役職を使った計画だ。
 計画内容は回りくどい。
 まず、皆川をどうにかしてイジメの主犯にする。
 次に過去にクラスの連中に皆川が過去にイジメで人を自殺に追い込んだことを劇的に告発する。
 最後に『皆川=悪』という構図をつくりクラスの連中の加虐心を煽ってイジメの的にする。
 かなり、無理のある計画ではあったが、やってみる価値ありと俺は判断した。
 計画開始初日。
 俺は教師を上手く丸め込んで授業時間を丸々手に入れた。
 何かに使えると思って、事前に教師の弱みを握っておいたのだが、読みはあたっていた。
 手に入れた時間を使ってクラスの連中に、『俺をイジメろ』なんて気の触れたような台詞を吐いてみせた。
 クラスの連中が上手く食いついてきたのは僥倖。それとも、元々浮いた存在であった俺はクラスの連中からすれば排除したい存在だったのだろうか。
 空井係選出のクジ引きはイカサマだ。
 実は箱に手を入れる前から、皆川の出席番号が書かれたクジが手の中にあった。後はさも箱の中から引いたように振舞うだけ。
 皆川が場の空気を読むのが上手いのは知っていたが、きっと空井係になるのを了承したのは、クラスの盛り上がりに押されたのも大きかったと思う。
 クラスの連中にメールアドレスを教えておいたので、その日の夜には迷惑メールがうじゃうじゃ送られてきた。
 けれど、どんな罵詈雑言も文字の羅列にしか思えなかった。
 クラスの連中が他人を見下すことでしか自己肯定できないのは知っていた。
『死ね』
『消えろ』
『ウザい』
『キモい』
『調子のんな』
 ボキャブラリーに乏しいメールに逆に同情した。もっと、心を抉るような中傷でもあれば張り合いがあったがつまらない連中だ。
 だからこそ、どんな罵倒も俺には意味がなかった。けれど、俺を動揺させるメールが一通だけあった。

『坂本です。ありがとう。クラスの人たちが全員空井くんの敵になってもアタシは絶対に空井くんを助けます』

 混じり気のない善意。
 ああ、この馬鹿は自分がいじめられているのを助けてくれたと勘違いしていやがるのだ。
 本当に馬鹿だ。
 どうして。
 どうして、俺は京子に同じ事をしてやれなかった。
 けれど、俺は京子と同じ境遇にある人間を救った。いや、救ってしまったと表現するべきか。
 とにかく、計画遂行に迷いが生じた。
 この段階ならば、報復ではなくイジメられている奴を救っただけ。
 後戻りはできたが、そんな迷いを振り払うきっかけは皆川基子本人。
 あいつは、俺との電話でこう言いやがった。

「でも、わたしは弱いから。イジメは安全なところから見ていたい。死んだら死んだヤツが悪いとしか思えないし、そうとしか思いたくない。加害者になって自分を責めるなんて絶対に嫌だ。だから、中心人物になんかやりたくないの」

 許さない。絶対に許さない。
 安全な位置で傍観者をきどるのは許さない。
 のうのうと生きているのも許さない。
 こいつには地獄に堕ちてもらう。堕ちるべきだ。堕とすべきだ。
 計画に修正は加えず、そのまま彼女には空井イジメの中心人物として調子に乗って貰った。初めのうちこそ、謙虚にやっていたが段々と調子に乗り始めた。
 本人は俺をイジメていた方が安全と踏んだのだろうが、俺からすればまんまと餌に引っ掛かってくれたようなもの。
 二週間くらい楽しんでもらって、計画を最終段階に移した。
 どうせ地獄に堕とすなら、より高い所から堕とした方がダメージは大きい。
 計画の最終段階は、クラスの連中に皆川基子の過去を明かすこと。
 その下準備として、京子の最後の言葉をクラス中の人間にメールで送信した。
 京子の最後の言葉

 留守番電話に保存されていた。俺は、ずっとそのテープを保存していたのだ。
 留守番電話としてのメッセージは、こういうものだった。

「ササキです。わたしは今から死のうと思います。最後に空井君の声が聞きたくて電話しましたが、運命だと思って諦めます。わたしはミナガワさんを恨みます。死んでも恨みます。でも、何より何もできなかった自分自身を許せません。だから、死を選びます。生まれ変わることが、また会いましょう」

 これを多少パソコンで加工して音声ファイル化。
 ちなみに送信したのは俺に嫌がらせメールをした連中に限った。
 クラスの連中にメールアドレスを教えたのも、嫌がらせメールを送るような奴、つまりロクでもない奴を選別する作業でもあったのだ。
 人の痛みを考えられない連中にまず音声ファイルを送ったほうが、事実をよりネガティブな方向へ捻じ曲げて解釈してくれる確率が高い。
 案の定、翌日は皆川基子はみんなから怪訝そうな視線を向けられていた。
 計画が順調に進みすぎて逆に怖かったが、後には退く理由はない。
 とどめの一撃を刺せばチェックメイト。
 俺は一旦学校を離れて、音声ファイルの調査をしているフリをした。
 本当は京子の墓参りをしていた。もう一息で仇をとれることを墓前に報告してきたのだ。
 そして、五限目に教室に戻り、皆川基子を告発した。
 皆川は最後まで『砂先京子なんて知らない』と言い張ったが、クラスメイトを誤魔化す為に送ったメールで自滅してくれた。
 全くイレギュラーな事態だったが、彼女自身が自分の墓穴を掘ってくれたようなもの。実にありがたがった。
 そして、皆川基子は陥落した。
 だけど、これはまだ道の途中。
 皆川基子の地獄はこれからだ。
 そのために、クラスの連中が動きやすいようにしてやらねばな。
 俺はあくまで道化を演じ、クラスの連中がさも自分の意思で皆川という悪を排除しているように思えるように細工していかねば。

   ◆

 次の日から早速皆川基子の地獄は幕を開けた。
 机の上に『人殺しは消えろ』とデカデカと書いてあったり、クラスからシカトされたりと展開が早かったので、俺も驚いた。
 教室は地獄で生徒は亡者。
 さあ、迫害されろ皆川基子。
 絶望の底に落ちて死ねよ。
 だけど、俺の計画にはたった一つだけ、とんでもない綻びがあったのかもしれないと思った。
 坂本が皆川に手を差し伸べたのだ。
 具体的に言うと、クラスの誰かが窓から捨てた皆川の鞄を拾ってきた。
 こいつは馬鹿なのか?
 まあいい。
 どうせ、彼女一人で何かが変わるわけでなし、いつかは坂本も皆川に愛想を尽かすにきまっている。
 軽く笑って、俺は授業をサボって学校の屋上へ。
 寝転んで空を眺めていた。
 京子はイイヤツだったから、死後の世界があるとしたら天国にいるだろう。
 どっかの宗教では自殺は問答無用で地獄行きとかあるらしいが、苦しんで死んだヤツに地獄で更に苦しめなんて可笑しな話だ。
 だから、天国なんてあったら、そこに京子がいないわけがない。
 空はどこまでも澄みきっていた。
 だけど、京子を救えなかった俺が行くのは地獄だよ。
 いや、それ以前にこの世界が地獄だよ。
 だからせめて、髪の色くらいは天国がある空と同じ色にして、俺は地獄で生きていくよ。
 感傷的になっていると屋上に来訪者があった。
 坂本だった。
「ねえ、空井君。皆川さんを助けたいの。だから、力を貸して」
 愚かな奴だ。
 皆川を陥れたのは俺だというのに。
「皆川さんの罪を暴いたのは俺だよ。なのに俺の力を借りたいの?」
「アナタはアタシと違って、優しくて頭が良いもの。皆川さんのしたことは許せないことだけど、でもやり直すチャンスはあっても良いでしょう」
 真っ直ぐな瞳は、俺を貫く。
 この世で一番タチの悪いのは善意だ。
 しかも、自分の保身を抜きにした善意は本当に始末におけない。
「考えておく」
 と時間稼ぎ。
 さあ、どうしようか京子。
 空に向けて問いかけるが、言葉は虚空に消散するのみ。
 天国は遥かに遠く、俺は地獄でこれからの身の振り方を思案した。

【空井係】了

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