カムカム・スターダスト/第3話

~忘却の椅子~


 神社の境内では、淡い色の桜の花が咲き誇っていた。
 リアルでの日本は夏休み前なので、これが現実の光景なわけがない。桜前線は当の昔に過ぎ去っている。
 ここは、春の神社を模した一般公開空間だ。一般公開空間とは、要するにSNS上に存在する個人が管理運営するスペースである。
 楚々とした雅さをまとった空間に、全身をきらびやかな金色の衣装に身を包んだ男が佇んでいる。傍からすればミスマッチもいいところだ。
 けれど、俺のアバターである黄金戦鬼は、そんな細かいことを気にしないという設定だ。少なくともSNS上では、大胆不敵に人生を歩みたい。
 境内の桜の木にもたれかかり、俺は呆然とこれからの身の振り方を思案していた。
 現在、午後七時。麻耶と名乗る少女に指定された時刻までには時間がある。
 けれど、約二時間後には、黄金戦鬼の格好で麻耶に赴かなければならない。
 問題は、麻耶が一体、どのような思惑で黄金戦鬼である俺と会いたがっているかだ。
 俺の弱みを握って……それをどう利用する気なのかわからない。
 麻耶の口ぶりからするに、少なくとも金をゆするつもりはないみたいだ。
 だが、金銭以外の何を要求するというのだろう? 世の中に金以上に価値があるものなんてあるのだろうか?
 思案すればするほど謎は深まり、謎は不安と恐れを生む。
「はあ……、どうしてこんなことになってしまったんだ」
 すっかり参ってしまった俺は、黄金戦鬼のキャラ設定を忘れて、弱々しく溜息をつくしかない。
「おいおい、そこの金ピカ。境内でしょぼくれてんな。というか、さっきから見てたけど、お前神社に参ったのに賽銭の一つも入れないってどういう了見だ?」
 俺に不機嫌そうな声がかけられる。
 そこにいたのは、お面をつけた人物。声からして性別は男。狐耳で黒髪、赤と黒の着物と脇には刀を装備している。
「俺の名は金ピカなどではない。黄金戦鬼というアバター名がある!」
 自信なさげな態度を見られては遅いかもしれないが、それでも俺は傲岸不遜な態度を取り繕う。
「黄金戦鬼ねえ、一応言っとくけどその名前、今やちょっとした有名人だぜ? もちろんマイナス方向に」
 お面の男――刀夜(とうや)の言葉に、俺は本気でヘコむしかない。
 刀夜と俺の付き合いは長くも深くもない。
 ただ、悩み事があるときにふらっと立ち寄れる場所を探していたらこの神社を見つけた。そして、この神社のある空間の主が刀夜だったというだけの話だ。
「うむむ、貴様はもうちょっと神社の主らしく、人の悩みに寄り添おうとは思わんのか?」
 俺はあくまで堂々とした態度を装うが、装いきれている自信はない。
「誰が不景気な空気をまとった奴にほだされるかよ。面倒事に巻き込まれるのはゴメンだね」
 さばさばと刀夜は切り捨てる。
「確かに、金にならんことに巻き込まれるのはいかんことだな。むしろ、あってはならんことだ」
「別に俺はお前ほどの拝金主義者じゃないけどな」
 刀夜は、シニカルに肩をすくめてみせる。
「まあ、アンタにはアンタの事情があるだろうから、深い干渉はしないよ。そんなの面倒臭いし」
「あー、いや、ちょっとぐらい俺の話を聞いてみてもいいと思うぞ?」
 あまりにさっぱりした態度に、俺はすがるような言葉を吐いてしまう。
「だったらさあ、お賽銭ぐらいいれてけよ」
 そう言うと、刀夜はくいっと親指で賽銭箱を指し示す。
「き、貴様は俺に金を無為に投げ捨てろというのか!?」
 俺は半狂乱で言い放つ。
「おいおい、別に大枚をつめとは言わねえよ。気持ちの問題だ。ワンコインくらい入れていってもバチはあたらねえよ。それとも、今や有名人であらせれらる黄金戦鬼様には、神社のご利益はいらないとでも?」
 彼の言う「有名人」という言葉に、俺は「うっ……」と息を飲むしかない。
 もしも、彼にこの空間への入室を拒絶されたら、俺は自分のホームくらいしか行く場所がない。今の俺なら、行く先々の一般公開空間への入室を拒否される自信がある。
「よ、よかろう! この黄金戦鬼にとって賽銭くらい造作もないこと!」
 俺は声を張り上げて、賽銭箱の方へ方を進める。
 俺は手を構えて、ウェブマネーを象徴化した硬貨を召喚。
 ちなみに硬貨は五円玉。みみっちいとか言うなかれ。刀矢は気持ちを示せと言っただけで、金額までは提示していない。ならば、いくらだっていいではないか。
 苦渋の重いで、俺は硬貨を握った手を振った。
 ……。
 なのにどうしてだろう! 硬貨が賽銭箱に投入された音がしない!
 振り返ると、無言で刀夜がこちらを眺めている。
 その沈黙のプレッシャーたるや重力が増したかのようだ。
 どういうことかと俺は自らの右手を確かめる。
 そして俺は愕然とした。俺の右手は未だ固く握り締められていた。
「どうした、さっさと賽銭を入れろよ」
 無機質な声による刀夜の要求。否、もはやこれは督促だ!
「く、我が右手がこの硬貨を放そうとしないのだ。この固く握った手は、俺と硬貨の間に断ち切れない絆が結ばれている証拠! すまないが、俺にはこれ以上賽銭という世にも残酷な行為を続けられそうにない!」
 俺は右腕を震わせながら、格好よく言ってのけた。
「そうかそうか、アンタはそういう奴なのか。別にいいぜ。んじゃ、ちょっくらアンタの持っているこの空間の公開鍵を返却してもらおうか?」
 淡々と、刀夜は告げてくる。
 ここはバーチャルリアリティだというのに、俺は背中にぐっしょりと汗をかいているように感じられた。
「く、くそっ、この金の亡者め!」
 俺は意を決して、もう一度賽銭箱に向かって腕を振るった。
 俺の手から射出された硬貨は、スゥっと賽銭箱へと吸い込まれていった。その瞬間、賽銭箱が底なしの深淵を宿したブラックホールに見えた。
 ――カランコロン。
 硬貨が賽銭箱の最奥に到達した音を聞いて、俺はその場に膝をつくしかない。
「……無念なりッ!」
 硬貨との今生の別れを嘆く俺に、刀夜は、
「はいはい、よくできました。次からはもっと手早くやろうね?」
 この男には血も涙もないのか!?
「俺がこんな惨めな目に遭っているのは、すべてあの連中のせいだ。クソッ、何が『星空日記』だよ。ポエムすぎるセンスで片腹痛いわ!」
 自分で自分を慰めるために、麻耶という女子の一般公開空間名にケチをつける。もはや、それぐらいしか溜飲を下げる手段が浮かばない。
「……アンタ、あの一般公開空間の運営者と知り合いなのか?」
 刀夜が、俺が癇癪から発した愚痴に食いついてくる。
「知り合いっていうか、その空間の公開鍵を直に渡されてな。この後で行かなきゃならないことになってるんだよ」
 俺が答えると、刀夜は顎に手を当てる。
「そいつはすごいな。聞いた話じゃ、『星空日記』は大盛況で中々予約が取れないらしい。それを運営者側から招かれるなんて、VIP待遇もいいところじゃないか」
「へ、そうなの?」
 なにせ、金に絡みそうにない話には興味のない俺だ。『星空日記』なんて少女趣味な空間名、耳に入っていても脳内フィルタで不要な情報に振り分けていた可能性ある。
「俺も一度だけ、『星空日記』をお邪魔させてもらったことがある。中々面白いコンセプトの空間だったよ」
 刀夜はうんうんと頷きながら語ってみせる。
「どんな風に面白いのか、ぜひ教えてもらいたいものだな。そもそも、『星空日記』とはどんな空間なんだ?」
 彼の言う『面白いコンセプト』という評価には興味があった。面白いところには人が集まる。人が集まれば、お金を落としてしかるべき。
 利益と成功の匂いが漂っている。
「一言でいえば、個人運営の小規模なプラネタリウムだよ」
 端的に刀夜は答えてくれるが、俺は余計に首をひねらざるを得ない。
「そんなものの何がおもしろんだよ。星を見ても金になるわけじゃない。いや、それ以前に星を見たいなら、他にも色々な空間があるだろう?」
「確かにアンタの言うとおりだ。単にプラネタリウム見学がしたいなら、大規模な空間に行った方が迫力はあるだろう。もっと言えば、天文学や宇宙科学を行っている天文街【カーラネミ】ってところには、全天の星が再現されている。星についての正確な情報を得たいなら、そっちの方が遥かに早い」
「なら、どうして小規模なプラネタリウムに人が集まる。矛盾してるぞ?」
「さあ、それは行ってみてのお楽しみだな。けれど、あのプラネタリウムに行くと、物事をちょっと違った目線から捉えられるんだよ。例えばさ、アンタは突然自分が記憶喪失になったとき、自分の心とどうやって折り合いをつける?」
 脈絡もなく出てきた質問。
 俺はちょっと躊躇して、
「それは当然、困るしかないな」
 ありきたりどころか小学生並の返答しかできない。
「普通はそれぐらいの認識しかできないだろうな。でも、記憶喪失の当事者となった身としては『困る』だけじゃ済まないんだよ」
 刀夜の言いぶりに、俺にはふとある事件についてが頭によぎった。
「ひょっとして貴様は、集団ネット記憶喪失事件のことを言っているのか?」
 ただの勘で聞いてみたが、これに刀夜は、
「その通りだ。集団ネット記憶喪失事件――数年前のある日、十二時二十七分に接続した全ての人間が短くて二年、長くて六年のネット上の記憶を喪失した。一般的には風化しつつある話だけど、被害者の人間にとっては忘れがたいほどのインパクトを与えたよ」
 刀夜は空を仰ぎながら、「はぁ……」と吐息をつく。
「今では、記憶は戻っているのか?」
「大部分はな。ただ、ああいう大事件に巻き込まれると、その事件をどうやって心に収めるのかが問題となってきてね。それをポロっと『星空日記』の運営者に話したんだ。そうしたらさ、運営者は『アナタは冥王星にある忘却の椅子に座ったのです』ってね」
「……意味不明だな。もうちょっと詳しく話せ」
 奇々怪々な説明に、眉をしかめる俺。
「まず確認するけど、冥王星って知ってるよな?」
「確か、大昔には惑星だった星……だっけ?」
「その通り。冥王星は二十一世紀の初期に惑星から準惑星に格下げされた星だ。それまでは太陽系で太陽から最も離れた場所に位置する惑星とされていた。……とまあ、知った風に言っているけど、この知識は全部『星空日記』の運営者に教わった知識だ」
「そんなビミョーなランクの星と、記憶喪失がどんな関係がある?」
「冥王星はね、英語ではプルートというんだ。その語源は、ギリシャ神話に出てくる冥界の王の名前だ。つまり、冥王星はその字のごとく、あの世の王様の星なんだよ」
「それで?」
「んで、ギリシャ神話では生きたまま冥界に足を踏み入れたテーセウスという人物がいる。テーセウスは冥界の王プルートは謁見を求めたテーセウスを罠に嵌める。その時に使われてたアイテムが忘却の椅子だ。椅子に座ったテーセウスは全てを忘れて何もできなくなってしまうんだ」
「随分と突拍子もない話だな。だが、それと貴様の記憶喪失がどう関係してくる?」
「運営者いわく、ネットの世界は現実の向こう側の世界にあるんだから、実は冥界のような危険性は常に孕んでいるものらしいんだ。んで、普通はリアルの向こう側に捉えられることなく、ちゃんと元の世界に戻ってこれる。でも、リアルの向こう側は元々が危険なもの。だったら、ネットは安全なんていう意識はそもそも捨てて、プルートに謁見するぐらいの気持ちで電子の海を渡った方がいいんじゃないか、と」
「それは……何かの役に立つ話なのか?」
 一見するとイイ話系の説法に聞こえんではないが、ちゃんと吟味するとイミフである。
「こういう物語は、目の前の現実を心に収めるには最適の手段らしいぞ? それは的を射ていると思う。俺ってさ、記憶喪失事件以後、ネットを使うが怖かったわけ。更に言えば、ネットを使うのを怖いと思っている自分が劣った人間なのかもと負い目を感じていた。でも『ネット世界は冥界なんだから、そもそもが怖いものだ』って心構えさえあれば、必要以上に自分を責める必要はなくなるだろう?」
「ふーん、そんなものかねえ」
 刀夜の説明は、しかし俺には全然しっくりこない。
 心構えなんて不確かなもので、金稼ぎができわけでもない。
 だから、俺は皮肉を込めてこう言うんだ。
「そんなロマンチストな運営者なら、ぜひ早々に顔を見てみたいよ」
 これに刀夜は首を傾げていた。
「不思議なことを言うやつだな。噂じゃアンタは、あのプラネタリウムの運営者と既知のはずだぜ?」
「それはどういう意味だ……?」
 当惑する俺に、刀夜はこう告げた。
「『星空日記』の運営者の名前は星辰の騎士(アストライア)――昨日アンタが闘技場で一戦交えた対戦相手だよ」

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